「医療DX」の現在地と今後の展望
1.はじめに
政府が「医療DX」を加速している。医療分野におけるDX(Digital Transformation)には様々な取り組みがあり得るが、政府は医療DXを、保健・医療・介護の各段階から生み出される情報の活用基盤を構築することで、システム化やデータの有効活用を通じて国民の健康増進やより質の高い医療等を受けられるように社会や生活の形を変えていくことと位置付けている1。
2023年6月、内閣官房に設置された医療DX推進本部は、「医療DXの推進に関する工程表」を公表し、2030年を目標とした医療DXの取り組み内容とスケジュールを示した。本工程表に基づいて、当面の政府の医療DXが進められていく見込みだ。
医療DXには、患者の診療・投薬履歴に基づいて重複する投薬・検査を減らして医療費の適正化につなげていくことや2、業務の効率化により保健・医療・介護の担い手不足を補っていくといった効果も期待されている。そのために、行政機関、病院・診療所等の医療機関、薬局および製薬企業等の医療サービスに関連する事業者を始め、保健や介護に関わる事業者、患者や要介護者、健康づくりに取り組む健康な個人等にも幅広く影響を及ぼすとみられる。
工程表が公表されたこのタイミングで、政府が推し進める医療DXの現在地と今後の展望を確認し、企業や個人としての向き合い方を考えてみたい。
2.「医療DX」の現在地
(1)医療DXの推進に関する工程表
医療DXは、国民の健康増進やより質の高い医療等の提供といった5つの目標の実現を目指している3《図表1》。
この5つの目標を達成するための手段として、「全国医療情報プラットフォーム」の構築が多くを占めている。全国医療情報プラットフォームは、全国の医療機関や薬局が患者を受け付ける際に保険資格の有無をオンラインで確認する、オンライン資格確認等システムを拡張して構築される。患者が受付時にオンライン資格確認等システムで自身の医療情報(受診医療機関、診療内容、薬剤、特定健診等)の医療機関等への提供に同意すると、医療機関等はその患者の過去の医療情報を他の医療機関等受診分も含めて確認できる。これらの情報の活用は、医療従事者が患者とのコミュニケーションや治療内容を充実させたり、重複する検査を回避したりすることにつながるため、切れ目なく質の高い医療の効率的な提供に資すると期待される(図表1の目的②)。
オンライン資格確認の仕組みを活用して確認できる医療情報は順次拡充されている。2024年度からはそれぞれの医療機関が電子カルテに入力した検査・アレルギー・感染症に関する情報・他機関宛ての照会情報・退院時サマリー情報等も先行医療機関に共有されることとなっている。2023年1月に運用を開始した電子処方箋についても、システムを導入した医療機関の処方箋情報が共有される。電子処方箋は、2025年3月までにすべての医療機関にシステム導入することが目指されている。更に、医療機関等だけでなく、自治体・介護事業者が保有する介護や母子保健等の情報も関係機関同士で共有していく計画だ。これらの医療情報等の共有の拡充により、質の高い医療等の効率的な提供を実現しようとしている。
また、上記の医療情報等はマイナポータルで本人が確認することもでき、国民の健康増進への活用が期待されている(目的①)。マイナポータルには現在でも40歳以上を対象にした特定健診(特定健康診査)の情報が掲載されているが、2023年度中に事業主が従業員に実施する事業主健診も対象となる計画だ。現在は健康を損なって医療機関を受診する等して初めて医療情報が蓄積されるが、今後は健康な若年層の健診情報も継続的にマイナポータルで活用できるようになるため、より幅広い人々に健康増進を働きかけ易くなるとみられる。
一方で、電子カルテが導入されておらず、そもそも共有する電子カルテ情報が生成されていない医療機関も多く存在する4。標準型電子カルテの開発により導入コストを抑制しつつ、2030年を目標にすべての医療機関に電子カルテを導入し、業務効率化とデジタル化を進めていく方針だ(目的③)。
(2)これまでの取り組みの振り返り
医療DXがその目的を達成するためには、基盤となるシステムを開発するだけでなく、開発したシステムを医療機関等に導入し医療従事者や患者に実際に活用されることも必要だ。これらの課題がこれまでどのように対処されてきたかを確認するため、工程表の前身となる「データヘルス改革」の取り組みを振り返る。
2017年、厚生労働省にデータヘルス改革推進本部が設置され、データヘルス改革がスタートした。当初は、健康・医療・介護分野のデータを連結してビッグデータとして分析し研究開発や保険者の機能強化に活用することを目的とした「保健医療データプラットフォーム」を2020年度に構築する目標が掲げられた5。医療機関等で生成される医療情報を正確に連結するためには医療機関を受診する際の正確な本人確認が必要となる。そのため、医療機関等におけるオンラインでの資格確認が計画された。オンライン資格確認はその後の医療DXにつながる一連の取り組みの土台であり、2020年度中に運用開始を目指すこととされた6。
2019年には、それまでの取り組みをベースに2025年度までの計画が示された7。レセプト等情報のデータベース(NDB)を中心に他のデータベースとの連結によりビッグデータ分析を進めていく方針となった。同時に、国民が利便性を直接感じられるよう、2021年度を目標に個人の医療情報等を医療・介護現場で確認して質の高い医療・介護の提供につなげる仕組みや、本人や家族が確認して健康増進等につなげるパーソナル・ヘルス・レコード(PHR)を構築することとなった。
2020年には、PHRをマイナポータルで提供していく方針や、電子処方箋を2022年夏に運用開始していく計画が新たに示された。
このように、データヘルス改革は都度対応事項を具体化しながら推進されてきた。システム開発に関しては概ね計画通りに進んでおり8、今後の医療DXに関わるシステム開発も着実に進むことが期待される。
一方で、開発されたシステムの医療機関等への導入や現場への浸透に関してはこれからという印象だ。オンライン資格確認は運用開始後も医療機関等への導入が中々進まなかったため、2023年4月から保険医療機関への導入が原則義務化された9。これにより導入率が大きく高まっている10。オンライン資格確認の導入が一巡した後は、電子処方箋等のシステム普及が課題となってくる。
また、導入されたオンライン資格確認やPHRとして稼働しているマイナポータル等のシステムを個人がマイナンバーカードを用いて継続的に利用していくことも必要だ。2024年秋から健康保険証の廃止(マイナンバーカードへの一体化)が予定されており、マイナンバーカードの保険証利用が促進される。その上で、医療従事者が共有された患者の医療情報等を診療に実際に活用し、個人がマイナポータルから提供される情報を健康増進に向けた行動変容に結び付けるかどうかは、個々の意思に基づく。オンライン資格確認の導入義務化や健康保険証の廃止のような制度的な打ち手による対応が難しい課題が残される。
(3)海外との比較
医療DXは、先進諸国が先行しているといわれる。開業医のクリニックにおける電子カルテの普及率は、2021年時点でOECD加盟国平均が92.8%のところ日本は41.6%で、38か国中35位であった11。日本では2030年までにすべての医療機関への電子カルテ導入が目指されているが、既に導入率が100%に達している国は16か国存在する。また、日本が医療DXで実現しようとしている公的なPHRや医療機関等での医療情報の共有といった仕組みも既に多くの国が実現している12。更に、PHRサービスを提供する民間事業者との医療情報連携により効果的な疾病予防・健康増進を図る取り組み13や、医療情報だけでなく行政が保有するデータ等を連結して研究開発に利用するといった先行する取り組み14も実施されている。
一方で、全国の保険診療の情報を病院・診療所といった医療機関の区分や保険者・地域等の区分を超えて網羅していることや、健診情報により医療機関に掛かっていない国民の健康状態を把握できることは、日本の特徴と言える。高齢化で先行する日本は、社会保障費負担の抑制や医療・介護の担い手の確保の面からも医療DXを深化させていく必要性はより高いといえる。海外の先行事例を参考にキャッチアップしていくと同時に、日本の特徴を活かしていく視点も求められるだろう。
3.医療DXの今後の展望
(1)引き続き推進が期待される取り組み
医療DXの実現に向けた電子カルテ情報の共有や標準型電子カルテの提供といった今後のシステム開発の確実な推進が期待される。また、医療情報の2次利用に向けた環境整備も、5月に成立した改正次世代医療基盤法の施行等により改善していくことが期待される。
一方で、最近では他人の健康保険証情報が登録されるといったマイナンバーカードの不具合が噴出している。この不具合は保険者における登録時のヒューマンエラーが原因とされており、既に対策が実施されている15。医療情報を診療や健康増進に積極的に利用していくのであればなおのこと、データ誤りを防ぐ必要性は高い。データ誤り等への不安が医療DXの進展を阻害しないよう、慎重にシステムを設計・運用していく必要があるだろう。
(2)一層の強化が期待される取り組み
医療情報の診療への活用やマイナポータル情報の健康増進への活用といった医療従事者や個人の意思に基づく取り組みを推進していくためには、医療従事者や個人がシステム利用の効果や便利さを実感できる必要があるのではないか。
政府は、マイナポータルの医療情報等を本人同意の下で民間事業者に連携し、疾病予防・健康増進等を働き掛けるPHRサービスを創出しようとしている。本年7月には、PHR事業者の業界団体である「PHRサービス事業協会」が設立される予定だ16 。事業者間の連携により、マイナポータルから提供されたデータのPHRサービスでの適正な活用や、PHRサービスが収集したライフログデータを他のPHRサービスや医療機関の診療に活用するためのPHRデータの標準化の検討が進んでいくとみられる。より効果的で便利なPHRサービスの開発が期待される。
また、電子処方箋は患者に処方箋を電子的に発行できるだけでなく、他の電子処方箋が導入された医療機関がその患者に発行した処方箋の情報を基に、重複投薬や併用禁忌のアラートをかける機能も提供している17。紙のお薬手帳では持参忘れによる漏れや、医療従事者がチェックする手間が生じていた。電子処方箋の導入により電子カルテへの処方箋の登録時等に医療従事者の手間なくチェックが掛かるようになる。電子処方箋を導入する医療機関が増えるとより網羅的にチェックが掛かるようになるため、医療従事者や個人が効果を実感できる機会は増えてくるとみられる。
更に、医療機関や介護施設の情報の入力自体を省力化したり、関連情報と組み合わせ業務の効率化を図るサービスも増えてきている。タブレット等で初診の患者の問診を行い電子カルテへの入力負荷を軽減するサービス18や、インカムによる音声認識で介護記録の入力負荷を軽減するサービス19、医療機関の病床やスタッフの稼働状況および地域で連携する他の医療機関・介護施設の退院患者受け入れ可否といった情報を組み合わせて医療機関の経営を効率化するサービス20も登場してきている。
このような、健康増進や業務効率化等の効果が実感できるサービス普及することで、医療DXによって整備されたシステムや仕組みが継続的に利用されると考えられる。
4.まとめ
過去から粘り強く推進されている政府の医療DXは、システム開発や制度の整備の面では着実に進捗している。整備されたシステムの医療機関への普及と医療従事者や個人の継続的な利用を促す取り組みが健康増進や質の高い医療といった医療DXの目的を達成するために求められている。
これらの取り組みは、一部のステークホルダーの活動のみでは達成できないだろう。政府、医療機関等や製薬企業等のヘルスケア産業だけでなく、介護・保健指導・フィットネス・保険等の幅広い産業が、医療DXを活用して利用者の生活やニーズに密着しメリットを実感できるサービスを提供することが期待される。また、利用者である個人にもオンライン資格確認や電子処方箋、マイナポータル等のサービスを積極的に利用することを期待したい。そうすることで、健康増進や質の高い医療といった医療DXのメリットを幅広い人々が共有できるだろう。
《BOX》マイナンバーカードの利用意向に関する当社独自調査
●当社が実施した独自調査21からも、個人がマイナンバーカードの保険証利用等に十分にメリットを感じられていない実態が伺えるため、紹介したい。
●全国の20歳~70歳男女を対象としたインターネット調査。2022年9月実施、回答者数2,552人。
●マイナ保険証を登録した理由(複数回答)は、マイナポイントキャンペーンが大半を占める。
①マイナポイントがもらえるキャンペーン(82%)
②持っていてもデメリットが特にない(24%)
③転職・結婚しても健康保険証の発行をまたずに医療機関を利用できる(11%)
④マイナポータルで医療費控除の確定申告ができる(10%)
⑤マイナポータルで薬剤情報や特定健診情報を見られる(9%)
●マイナポータルで薬剤情報や特定健診情報を見たり、医療関係者と共有できることについて魅力を感じる人の割合は、マイナ保険証済・取得予定の人で約半数。取得予定がない人で約2割に留まる《図表2》。
- 医療DX推進本部「医療DXの推進に関する工程表(案)」(2023年6月)
- 財務省財政制度等審議会「歴史的転機における財政」(2023年5月)
- 前掲注1
- 厚生労働省「令和2年医療施設調査」(2022年4月)によると、2020年の電子カルテ導入率は一般病院57.2%、一般診療所49.9%。
- 厚生労働省「医療介護分野の工程表」(2017年1月)
- 厚生労働省「データヘルス改革で実現するサービスと工程表について」(2018年7月)
- 厚生労働省「今後のデータヘルス改革の進め方について」(2019年9月)
- オンライン資格確認の運用開始がシステム改善のため2020年度中の計画から半年後の2021年10月となり、電子処方箋の運用開始も2022年夏の計画が2023年1月になる等、若干の遅れがみられた。
- 中央社会保険医療協議会「医療DX の基盤となるオンライン資格確認の導入の原則義務付け」(2022年8月)
- 原則義務化が公表される前の2022年8月7日時点の導入率は病院43.1%、医科診療所18.0%。2023年5月28日時点は病院で85.9%、医科診療所で68.6%。
- OECD「Health at a Glance 2021」(2022年3月)
- 例えば、英国、フィンランド、オランダ、デンマーク、台湾、オーストラリア等。
- 例えば、英国のNHSは民間のPHRサービスを提供する事業者3社をサポートしており、NHSアプリとPHRサービスのアプリでデータを相互閲覧することもできる。NHSのホームページ (visited Jun. 13, 2023) < https://www.nhs.uk/nhs-app/nhs-app-help-and-support/health-records-in-the-nhs-app/personal-health-records/ >
- 例えば、デンマーク統計局は健康・世帯・労働・収入等の様々な情報を紐づけた個人・企業単位のデータを認可された研究に利用できる環境を提供している。Statistics Denmarkのホームページ (visited Jun. 13, 2023)
< https://www.dst.dk/en/TilSalg/Forskningsservice/Dataadgang > - 厚生労働省のホームページ (visited Jun. 13, 2023) < https://www.mhlw.go.jp/stf/newpage_33112.html >
- PHRサービス事業協会のホームページ (visited Jun. 13, 2023) < https://phr-s.org/news/20230509.html >
- 厚生労働省「電子処方箋管理サービスにおける重複投薬等チェックの概要」(2022年12月)
- Ubieの「ユビーメディカルナビ」、flixyの「メルプWEB問診」等。
- ケアコネクトジャパンの「ハナスト」等。
- GE Healthcareの「Command Center」。
- SOMPOインスティチュート・プラス「健康保険証廃止の議論から見える課題~当社独自アンケート調査に基づく考察~」(2022年11月)
PDF:1MB
PDF書類をご覧いただくには、Adobe Readerが必要です。
右のアイコンをクリックしAcrobet(R) Readerをダウンロードしてください。