米国ではオピオイド系鎮痛薬の乱用・中毒による死亡者の急増が大きな社会問題となっている。州・郡・市政府は、オピオイド問題の元凶だとして製薬会社等を相手に多数の訴訟を起こしている。オピオイド関連訴訟の増加は損害保険会社に少なからず影響を及ぼす可能性があり、米国保険業界ではエマージングリスクの一つとなっている。日本の保険会社にとっても対岸の火事ではなくなりつつある。
1.オピオイド危機に揺れる米国
オピオイドとは麻薬性鎮痛薬やそれと同様の作用を示す合成鎮痛薬の総称である。日本でもよく知られているモルヒネは植物由来の天然のオピオイドである。半合成オピオイドには「オキシコドン」というものがあり、合成オピオイドには「フェンタニル」などがある。これらは中度から重度の痛みに対する鎮痛薬として日米両国で処方が認められており、がん患者の痛みや手術中・術後の痛みの緩和などに用いられている。しかし、オピオイドには鎮痛作用だけでなく陶酔感や多幸感をもたらす作用もあり、常習性が高く、過剰に摂取すると死に至るおそれもある。モルヒネを原料とするヘロインは、その危険性から日米いずれでも非合法な麻薬とされている。
米国ではオピオイドの過剰摂取(overdose)による死亡者数が年々増え続けている。米疾病対策予防センターによれば、2017年にはオピオイドの過剰摂取によって過去最高の47,600人が命を落とし、死亡者数は1999年の6倍に増加した1。処方オピオイドを処方箋どおりに正しく服用していない人(misuse:誤用)は1,140万人に上り、処方オピオイドを初めて誤用した人、すなわち新たな中毒者が200万人も誕生している(図表1)。
オピオイドの蔓延は「オピオイド危機」と呼ばれるほど米国内で深刻な社会問題となっており、トランプ大統領は2017年10月に「公衆衛生上の非常事態」を宣言している2。米経済諮問委員会は2015年のオピオイド関連の経済損失を5,040億ドル(GDPの2.8%)と試算しており3、米経済に与える影響も非常に大きいものとなっている。
オピオイド問題の起源は1980年代後半に「オキシコドン」が長期の治療にも使うことのできる常習性の低い安全な鎮痛薬として多くの医学誌で紹介されたことに遡る4。多数の医学誌で紹介されたことで、オピオイドは末期がん患者に限定されず、慢性的な疼痛に対しても処方が可能という認識が医師の間で広がり、その後1990年代半ばに製薬会社が新薬を開発し、常習性の低い薬として積極的な販売活動を展開すると、多くの医師がこれを信じ、慢性的な疼痛に対して広くオピオイドが処方されるようになった。その結果、依存症になる人が増大した。
依存症になった人々は、医師の治療が終了した後も不必要に医師に処方箋を求め、やがて闇市場から不法に処方薬を入手するようになる。中にはより安価なヘロインや少量で劇的な効果のあるフェンタニル(医療用の承認薬ではなく違法に生成されたもの)に手を出す者もいる。
図表2は1999年以降のオピオイドの種類別の過剰摂取による死亡者数の推移である。とくに近年はヘロインやフェンタニルによる死亡者数が急増していることが見て取れる。また、オピオイドの常習性が明らかになっている現在でも処方薬による死亡者数が減っていないことがわかる。
2.活発化すオピオイド関連訴訟
オピオイド中毒者の増加は、刑務所や裁判所の過密化によるコスト増、監察医や検視官への支払い増といったかたちで地方財政にも影響を及ぼしている5。州・郡・市政府は、経済的損失に対する補償を求めてオピオイドの製造、流通、販売に関わる企業等を相手に全米各地で訴訟を起こしている。標的になっているのは製薬会社、医薬品卸、薬局チェーン、薬剤給付管理会社(PBM)6、「ピルミル(pill mill)」7と呼ばれる悪質な医者である。州・郡・市政府は、製薬会社等が薬剤の効能とリスクについて正しい情報を提供せず詐欺的に宣伝販売を行ってきた結果、地域社会に過剰に出回る状況が生まれたと主張しており、加えて製薬会社等は乱用・中毒に対する適切な対策を講じることができていないと主張している8。製薬会社等は地方政府からだけでなく、流通、調剤管理上の瑕疵、疑わしい注文の当局への報告漏れ(規制物質法違反)などの理由で司法省からも訴えられている9。
オピオイド中毒を巡っては、これまでに30数州と1,600の郡・市が製薬会社等を提訴している10。薬害を巡る訴訟は珍しくないが、このように(個人や集団ではなく)地方政府がメーカーを訴える構図はオピオイド訴訟の大きな特徴であり、1990年代に多発した「たばこ訴訟」の構図に似ている。しかし、嗜好品であるたばこと違ってオピオイドは強い鎮痛作用が認められている医薬品であることや、製造から服用までの流通過程上に医師・薬剤師等の専門家やPBM等が介在していることから、被告はそれぞれが100%の責任を認めておらず、たばこ訴訟以上に問題は複雑といえる11。
3.保険への影響
オピオイド関連訴訟の増加は損害保険会社にも影響を及ぼしている。今後上記のような巨額の賠償金の支払いを認める和解・判決が続けば13、訴訟件数の増加に伴う訴訟費用の支払増に加えて、賠償責任保険の保険金の支払いが大きく増える可能性がある14。
一方、保険の補償範囲と支払責任を巡って被保険者である製薬会社と保険会社との間で争いも発生している。争点は一様ではないが、例えば、個人の身体障害に対する損害賠償請求でなく、地方政府の経済的損失に対する損害賠償請求の場合であっても保険会社には被保険者を防御する義務が発生するのかといったことや、保険金を支払うトリガーは何か(医師の処方か、処方箋の受領か、患者の服用か)といったことが争われている。
一部の保険会社はオピオイドを含む薬物中毒を免責とする対応を取り始めている15。
4.おわりに
オピオイドの蔓延は、医師が正当に処方した薬がきっかけとなって発生しているだけに問題の根が深い。トランプ大統領はオピオイド危機に積極的に取り組んでおり、2018年10月には超党派によるオピオイド対策法(通称SUPPORT法)を成立させた16。その少し前の8月には、司法長官に対して製薬会社を提訴するよう要請をしている17。直近では本年4月、薬物中毒に関するイベントの場で製薬業界からの選挙献金を拒否する考えを表明している18。
製薬会社等を相手取った訴訟の動きも活発化している。オピオイド関連訴訟はかつてのたばこ訴訟同様、弁護士の恰好の飯のタネとなっている側面もある19。保険業界では、巨額の賠償金と訴訟費用による保険金支払いの増加が懸念されている。保険の補償範囲をめぐる訴訟の判決もこれまでのところ割れており、保険会社と被保険者間の衝突も当面は避けられないと見られている20。米国保険業界ではオピオイドの蔓延がエマージングリスクの一つとして認識されており、今まさにオピオイド危機に向き合っている。
なお、昨今M&A等により日本の製薬会社の海外事業比率が高まっており、国内製薬会社の米国リスクを引き受ける日本の保険会社にとっても十分なアンダーライティングが求められる。米国のオピオイド危機は国内保険会社にとっても対岸の火事ではなくなりつつあると言えるだろう。
- 米国疾病対策センター(CDC)
https://www.cdc.gov/drugoverdose/epidemic/index.html
- 2017年10月26日付ロイター「米大統領、「国家の恥」オピオイドの乱用に衛生非常事態宣言」(2017年10月25日和訳)
https://jp.reuters.com/article/us-opioids-emergency-idJPKBN1CW019
なお、日本では米国が直面しているような社会問題は発生していない。日本ペインクリニック学会は、ガイドラインにおいて、オピオイドは痛みを緩和する可能性のあるすべての治療法を用いても痛みが緩和されない場合に初めて処方が検討されるべきであり、第一選択肢ではないとしている。
https://www.jspc.gr.jp/Contents/public/pdf/shi-guide03_15.pdf
- 2017年11月19日付ロイター「オピオイド危機による米経済コスト、2015年は5040億ドル=CEA」(2017年11月20日和訳)
https://jp.reuters.com/article/usa-opioids-cost-idJPKBN1DK0AT
- Swiss Re, “The US opioid epidemic: An evolving challenge for insurers”, 2018.
- 2017年9月19日付ロイター「焦点:米国の「オピオイド中毒」、地域社会に深刻な財政負担」(2017年9月24日和訳)
https://jp.reuters.com/article/usa-opiをoids-budgets-idJPKCN1BY0ZD
- 保険者、製薬会社、医薬品卸、薬局、医療機関、患者といった利害関係者の間に立って、調剤保険適用の管理を行う役割を担っている。実態は、医薬品コストを抑えたい保険者や企業から契約を取り、製薬会社と値引き交渉を行う仲介ビジネス。PBM会社が作成する推奨医薬品リストに載ることで保険適用されるため、製薬会社にとってはこのリストに自社製品が載るか載らないかが重大な意味を持っている。
- pillは錠剤、millは製作所の意味。誰にでもいくらでも処方することから皮肉を込めてそう呼ばれている。
- Marsh, “Opioid Litigation : Insurance and Risk Management Considerations”, May.2018.
- 同上
- 2019年3月26日付Bloomberg
https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2019-03-26/POYI6Q6JIJUO01
- 脚注4、脚注8ほか。
- CNN, “Purdue Pharma to pay $270 million to settle historic Oklahoma opioid lawsuit”, Mar.26, 2019.
https://edition.cnn.com/2019/03/26/health/purdue-pharma-oklahoma-opioid-lawsuit-settlement-bn/index.html
- 米国では被告企業の悪質性が高いと判断された場合、社会的制裁として通常の賠償金とは別に懲罰的賠償金の支払いを命ぜられる場合がある。懲罰的賠償金は実際の損害額の数倍に上ることもある。
- 具体的な保険種類としては、PL保険、GL保険(PLを除く一般賠償責任保険)、D&O保険、医療過誤賠償責任保険、専門職業人賠償責任保険等が関係する。
- 脚注4
- CNN, “Trump signs opioid laws at White House event”, Oct.24, 2018.
https://edition.cnn.com/2018/10/24/politics/donald-trump-opioid-crisis-one-year-later-event/index.html
SUPPORT法は、正式にはThe Substance Use-Disorder Prevention that Promotes Opioid Recovery and Treatment for Patient and Community Act(Public law 115-271)。
- 2018年8月17日付ウォールストリートジャーナル「トランプ氏、オピオイド問題で司法省に企業提訴求める」<https://jp.wsj.com/articles/SB10357785378814713964104584413573575200840>
- 2019年4月25日付ブルームバーグ「トランプ氏、オピオイド中毒拡大で製薬業界を非難-献金拒否を表明」
https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2019-04-24/PQHI5K6K50XS01
- 脚注8
- 脚注4