環境政策をめぐり分断する欧州①~気候変動対策との両立を狙う自然再生法案~
次稿では、にもかかわらず本法案が契機となり顕在化したEUの環境政策をめぐる政治的対立や、その論点を考察する。
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1.はじめに
2023年11月に、EU上院にあたるEU理事会と、EU下院にあたる欧州議会が自然再生法案(以下「本法案」)に関する暫定的な政治合意に達した1。脱炭素や生物多様性など環境問題への対応と経済成長との両立を図る欧州グリーンディールの中核を成す本法案は、EU全域に生態系保全2・再生に向けた法的拘束力を有する目標を定める点で画期的とされる一方、農業生産、ひいては食料安全保障を脅かすとして、右派からはかつてない強力な反対運動が展開された。EU全体、加盟各国政府関係者間双方のレベルで政治的議論の中心となっており、大掛かりで野心的な法案自体の重要性もさることながら、世界に先駆け積極的な環境政策に突き進んできたEUの岐路となりうる点でも注目を集めてきた。
本稿では、EUにおける行政執行機関である欧州委員会3が2022年6月に公表した本法案4の概要、提案背景、気候変動政策などとの関係を概説するとともに、その意義を確認する。これらは、次稿5で取り上げる、本法案を契機に表出した対立理解の前提ともなる。
2.自然再生法案とは何か
本法案は、EU全域に対する適用範囲の広い法案であり、劣化した生態系を再生するため、拘束力のある目標を初めて設定するものである。①EUの陸海両域における自然の長期的回復に向けた包括的再生目標(objectives)6と、②附属書に規定する特定の生息地や種を対象とした、拘束力を有する具体的再生目標(targets)の組み合わせから成り、加盟27か国すべてに対策の実施を義務付ける7 。
「再生」とは、生物多様性と生態系のレジリエンスを保全または強化する手段として、生態系や生息地などの「(自己)回復」を支援するプロセスを指す。
加盟国は、≪図表1≫の7テーマにわたる拘束力のある目標を通じ、これらの合計で2030年までにEUの陸海両域の少なくとも20%、最終的には、2050年までに再生が必要なすべての生態系に対し、効果的な再生措置を講じることが求められる。これは、自然が回復できるよう、再野生化、森林の再生、都市やインフラの緑化、汚染の除去といった、既存の自然再生措置を拡大することを意味する。また、本法案の発効から2年以内に、目標をいかに達成するかを示す国家再生計画を欧州委員会に提出するほか、進捗状況のモニタリングと報告も必要となる。
3.提案の背景
(1)劣化する自然環境と生態系の経済価値
本法案の背景には、近年劣化するEUの自然環境がある。欧州環境庁(EEA)によると、EUの生態系および種の個体群には、汚染・気候変動・外来種に加え、森林伐採、土地利用変化による生息地の消失などが圧力をかけており≪図表2≫、生息地の81%が劣悪、土壌の70%が不健全な状態にある。特に、湿地・泥炭地・草原・砂丘の生息地が最も深刻な影響を受けている。
生態系は、食料供給や酸素生産、二酸化炭素吸収による気候変動緩和など、人間生活に不可欠なサービスを提供しており≪図表3≫、世界経済の基盤ともなっている8。EUにおける生物多様性の損失は、金額換算で年間3.5兆から18.5兆ユーロ(約570兆円から2,990兆円)に上ると推定されている。
(2)既存施策
EUにおける生物多様性の保全と再生は、1979年発効の野鳥指令と、1992年発効の生息地指令(以下「両指令」)に基づき指定された、特別保護地域(SPA)および保全特別地域(SAC)を通じて実施されている9。各国でばらつきはあるが、両地域はEU域内全土の18%以上、海洋の8%以上に相当する面積をカバーしており、Natura 2000と呼ばれる世界最大の自然保護地域ネットワークを形成している10≪図表4≫≪図表5≫。
ところが、これまでの取組みは前記(1)の劣化傾向を覆せなかったことから、本法案では、自然保護のみならず、再生のための措置の採用に初めて踏み込んだ11。また、両指令をはじめとする既存の法律を基礎としつつも、Natura 2000地域内の生態系に限らず、すべての生態系を対象に再生目標を定めることが提案された12。
これらを通じ、劣化したり破壊されたりした生態系を再生し、その健全性を保つことで、農業生産性、気候変動に対するレジリエンス、および生物多様性の回復や、洪水・干ばつ・熱波リスクの低減を確実化することが企図されている。
4.気候変動政策や昆明・モントリオール生物多様性枠組との関係
重要なのは、本法案が自然や生物多様性のみならず、気候変動対策にも位置付けられていることだ。
EUでは、欧州委員会が2019年12月に公表した「欧州グリーンディール」と呼ばれるエネルギー転換とカーボンニュートラル実現を柱とする成長戦略(政策パッケージ)13のもと、各種の環境・社会・経済産業政策を実施している。欧州グリーンディールは、気候変動問題と生物多様性の危機への対応を掲げ、気候変動と相互補完する要素として、「生物多様性および生態系の保全」も政策分野に包含する14。また、特に生物多様性に関しては、その一環となる「2030年に向けたEU生物多様性戦略15」が2020年5月に公表されている16。
こうした政策的文脈のもと、本法案は、これら両戦略を構成する重要要素として2022年6月に提案された。
報道によれば、欧州委員会は、本法案に定める措置なくして2050年までの気候中立(カーボンニュートラル)目標達成は不可能であるとしている。その一部は、土壌や森林など、自然の吸収源への二酸化炭素貯留に依存しているからだ17 18。EUにおける自然保全法の要である前記3(2)の生息地指令では、気候変動の緩和や適応に直接言及しておらず、泥炭地のようなとりわけ強力な吸収源に重点を置いて緩和を促進する発想に欠けることが問題視されていた。本法案では、このギャップが部分的に解消されている19。
さらに本法案は、昆明・モントリオール生物多様性枠組(KM-GBF)の交渉に際しても、EUの率先垂範を約する重要な貢献を果たした20。KM-GBFは2022年12月に開催の生物多様性条約第15回締約国会議(CBD-COP15)で採択された、2020年以降の生物多様性に係る世界目標である。同枠組では、「ネイチャーポジティブ(自然再興)」と呼ばれる考え方への転換が図られ、締約国は、2030年までのミッションとして生物多様性の損失を止めるだけでなく反転(回復)を目指すことで合意した。その実現に向け、2030年までに達成すべき23の個別目標も設定されている。中でも、陸と海の30%以上を保全するという「目標3(30by30目標)」と、劣化した生態系の30%以上を再生・回復下に置くという「目標2」21は本法案との関連性が高い。本法案には、KM-GBFのこれら目標に対するEUのコミットをEU法に明記する意図もある22。
以上のことから、本法案は、①生物多様性とレジリエントな自然の長期的・持続的回復、②EUの気候緩和・適応目標達成への貢献、そして③国際公約の履行を可能にするものとされる。
なお、CBD-COP15は、生態系再生の進捗状況を測定するための一般的に認められた方法論がまだ存在しないことを指摘した。本法案は、前掲≪図表1≫のとおり、生態系の種類別に指標を特定することで、この点を前進させていると言える23。
5.小括
本稿では、2022年6月に欧州委員会が公表した自然再生法案の概要と提案背景、政策的位置付けを概観した。改めて本法案の主な意義を次のとおり確認しておく。
① 生態系再生に向けた拘束力のある目標を全加盟国に設定し、対策を義務付けること
② 自然保護のみならず再生のための措置の採用に初めて踏み込んだほか、既存の保護地域であるNatura 2000内に限らずすべての生態
系を対象に再生目標を定めること
③ 既存法と異なり、自然再生の観点から気候変動緩和を明確に意図しており、法定の気候中立目標達成に不可欠とされていること
④ KM-GBFの目標をEU法に明記するとともに、生態系の種類別に指標を特定することで生態系再生の進捗状況測定の方法論を進展して
いること
気候変動対策との両立を狙う本法案は、①において画期的とされ、その根拠や必要性、大義も十分と見える。各国事情や地域特性の考慮は前提となるが、自然再生と生物多様性保全に向けた政策的先例として、世界的な議論や取組みを喚起することも期待される。ただし現実には、欧州委員会が示した野心は上記いずれの点においても激しい政治的論争の火種となった。右派や農業・漁業・林業セクターからは、「浅慮で非現実的かつ実行不可能」であり、「壊滅的結果」をもたらす、との大きな反発を招いたためだ。次稿では、本法案が直面した政治的対立やEU内の揺らぎを振り返り、その論点や課題を考察する。
- Council of the EU, “Nature restoration: Council and Parliament reach agreement on new rules to restore and preserve degraded habitats in the EU”(2023.11)
- 本稿では原則、その活用形を含め、preservationとprotectionを保護、conservationを保全と訳出した。一般に、保護は既存の自然に手を加えず保つこと、保全は一定程度人為的に自然を管理することと理解されている。
- 欧州委員会は、EUの主要機関で唯一新規法案策定権限を有する。
- European Commission, “Proposal for a Regulation of the European Parliament and of the Council on Nature Restoration”(2022.6)
- 2023年11月に鈴木大貴「環境政策をめぐり分断する欧州②~EUの野心に陰り、自然再生法案をめぐる応酬と課題~」の発行を予定している。
- ①生態系の再生による、EUの陸海両域における生物多様性とレジリエントな自然の継続的・長期的・持続的回復への寄与、②EUの気候変動緩和・適応目標達成への寄与、および③国際公約の達成を掲げた。
- EU法には、指令(Directive)、規則(Regulation)、決定(Decision)などがあり、本法案は、EU法の中で最も拘束力が強く、国内法制化措置を経ずに全加盟国に直接適用される「規則」に該当する。
- 世界経済フォーラム(WEF)が2020年7月に発行した報告書によると、世界のGDPの過半にあたる44兆ドル(約6,600兆円)は生態系が提供する物質やサービスに依存するとされる。なお、本稿では、2023年11月8日時点の為替レートで換算した。
- 環境省ウェブサイト「自然再生事業における諸外国の事例」(visited Nov. 13th, 2023)
- European Commissionウェブサイト「Natura 2000」(visited Oct. 2nd, 2023)
- Council of the EU, “Council reaches agreement on the nature restoration law”(2023.6)
なお、保全と再生では、法的義務の意味合いが大きく異なる。保全義務は、(現在も)存在する生態系を維持する義務を伴うのに対し、再生義務は、当該地域の自然を(すでに失われてしまった)以前の状態に戻すことを目指すためである。 - European Commission, “Green Deal: pioneering proposals to restore Europe’s nature by 2050 and halve pesticide use by 2030”(2022.6)
- Florence Jones, “EU adopts key Green Deal law despite opposition”(Power Technology, 2023.7)
- European Commission, “Communication From the Commission: The European Green Deal”(2019.12)
- European Commission, “Communication From the Commission to the European Parliament, the Council, the European Economic and Social Committee and the Committee of the Regions: EU Biodiversity Strategy for 2030 – Bringing nature back into our lives”(2020.5)
- 同戦略では、その後10年間におけるEU全体の生物多様性保全政策の基本指針を示し、2030年までに生物多様性を回復軌道に乗せ、2050年までに世界の生態系を再生することを目標とした。
- 前掲注13、Zia Weise & Louise Guillot, “How repairing nature became the EU’s most contentious green project”(POLITICO, 2023.5)
- EU域内における劣化した陸域の生息地を再生することで、ベネルクス三国(ベルギー・オランダ・ルクセンブルク)の排出量に匹敵する、年間約3億トンの二酸化炭素相当量を削減できるとの専門家による試算もある。
- Niels Hoek, “A Critical Analysis of the Proposed EU Regulation on Nature Restoration: Have the Problems Been Resolved?”(2022.10)
なお、自然再生において緩和を含む気候変動対策を意図すること自体は新しいものではなく、例えば2003年1月に施行されたわが国の自然再生推進法に基づく自然再生基本方針でも、2008年11月以降、その位置付けや重要性を明記している。 - 前掲注12
- 環境省生物多様性センターウェブサイト「昆明・モントリオール生物多様性枠組の構造」(visited Nov. 13th, 2023)
- 前掲注17
- Agnès Hallosserie, “Why is a nature restoration policy essential in Europe?”(IDDRI, 2023.7)
- 前掲注19
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