短時間の強い雨と、長時間にわたり継続する雨では、その後の河川流量に違いが生じる 。つまり、降雨波形(降雨量の時間ごとの変化・継続のパターン)によって、河川の流量の波形(時間別の流量)が決まる。降雨量を示す基準量として、降雨継続時間における降雨量や、単位時間あたりの降雨量が使用され、流量を示す基準量としてピーク流量が使用されるが、降雨波形や流量波形をすべてこの基準量だけで表すことはできない。
気候変動により高まる洪水リスクと予測結果の政策への活用
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1.はじめに
これまで排出された温室効果ガス(GHG)の蓄積によって一定の気温上昇は避けられない。地球温暖化は確実に進行している。気候変動によって自然災害の頻発化・激甚化が見込まれており、社会に多様な影響を及ぼすと懸念される。気候変動による悪影響に対して被害を回避・軽減する取組は「適応」と言われ、GHG排出削減の取組である「緩和」と合わせて気候変動対策には欠かせない。
2023年3月に9年ぶりに公表されたIPCC(気候変動に関する政府間パネル)統合報告書1では、この10年間の行動が重要であることが強調された。その一つに、10年間の大幅で急速な GHG排出削減と適応策の加速が、人類の損失と損害を軽減することが示されている。日本国内では2050年カーボンニュートラル実現に向けて政策や技術等の道筋が描かれつつあるが、脱炭素の取組だけでなく適応策の推進が必要であることを示唆している。
では頻発化・激甚化が見込まれる自然災害に、どのように適応していけば良いのであろうか。日本国内の洪水リスクに関して、気候変動の影響予測を政策で活用する動きが既に始まっている。現状を確認し、今後の政策のあり方について探りたい。
2.気候変動を踏まえた水害対策
(1)将来の降雨量の変化
国土交通省が公表した提言2によると、2℃上昇の気候変動シナリオにおいて日本国内の一級水系をシミュレーションした試算結果では、全国平均で降雨量が約1.1倍に、河川流量が約1.2倍に増加するとの予測だ(図表1)。気候変動対策として流域治水の推進と共に、降雨量の増加などを考慮した治水計画の見直しが進められている。これまで河川整備基本方針検討小委員会では、全国の109一級水系のうち7水系3にて河川整備基本方針の改正案が審議されてきた。
河川整備基本方針は、治水、利水、環境の観点から、将来の河川のあるべき姿や河川整備の方針を定めるものだ。当方針に基づき、一定の発生確率で生じる洪水流量でも被害が出ないように河川は整備される。ここで目標となる発生確率は「計画規模」と呼ばれ、水系ごとに決められる。計画規模における河川の流れ方(時間別の流量の推移)は「基本高水」と言われ、この時のピーク流量(一つの洪水における基準地点での最大流量)が河川整備基本方針の中で設定される。
(2)河川整備基本方針の見直し
では、気候変動を踏まえてどのように河川整備基本方針が見直されるのか、既に改正された新宮川水系(奈良県・和歌山県・三重県の3県を流域とする)の事例に基づき概説する。
将来の気候変動予測モデルの計算データとして、d4PDF(地球温暖化対策に資するアンサンブル気候予測データベース)4は代表的なものだ。2℃上昇や4℃上昇などの将来実験データと合わせて過去実験データが備えられている。河川整備基本方針の見直しの検討に際して、過去実験データによる降雨量を過去の観測値と比較分析したところ、どの地域においても概ね再現性を確認できたが、一部には再現性の低い流域が存在していることがわかった5。そのため、当方針の見直しには予測モデルの計算結果を直接活用せず、過去の実績降雨データ降雨量変化倍率(過去の再現計算と将来の予測の比)を乗じて計画降雨量(計画規模相当の降雨の降雨量)を設定している6。
更に、既往の洪水や、過去に経験したことのない雨の降り方も考慮して、総合的な判断の下で当方針が見直しされる。予測モデルの計算データは直接活用されてはいないものの、その降雨波形(降雨量の時間ごとの変化・継続のパターン)が当方針決定の過程で活用されている7。
新宮川水系の計画規模は1/100に設定されている。つまり100年に1度の確率で発生する洪水の流量であっても、被害を発生させないことが目標となっている。2℃上昇の気候変動シナリオによる降雨量変化倍率1.18を用いて、新宮川水系では、基本高水のピーク流量(基準地点相賀)が19,000㎥/sから24,000㎥/sの約1.26 倍に見直された。 この流量は、観測史上最大となった2011年台風第12号における流量に相当する9。
(3)着目しておきたい観点
将来の気候変動シナリオに基づいた洪水予測の活用において、新宮川水系などこれまでの 河川整備基本方針の見直しから、着目しておきたい観点を3点紹介する。これらは後述のまちづくりにおいても参考になものである。
①過去実績に基づいた架空の降雨シナリオと新たな降雨パターンの考慮
基本高水のピーク流量の判断に際しては、過去の降雨実績に2℃上昇時の降雨量変化倍率を用いる。倍率を乗じた降雨パターンは架空のシナリオと言えるが、過去の降雨パターン の傾向 が将来も継続するとの考えに基づいている。 合わせて、気候変動による新たな降雨パターンの発生可能性が、気候変動予測モデルによるデータによって検証され、考慮される。
予測モデルによる計算結果は、そ現象の再現性に一部課題があるとのことから直接活用されていないものの、これは当面の対応であり、将来は降雨の予測データを活用して流量を算定する方向性が示されている10。今後は科学技術の進展、将来気候の予測技術の向上、データの充実等によって更なる手法の改善が図られていく11ことに着目しておきたい。
②現時点の政策判断
気候変動には科学的な不確実性をはらんでおり、その予測にはモデルや前提条件など更に不確実性が伴う。しかしながら、平成30年7月豪雨や令和元年東日本台風など既にその影響が水災害として現れている12ことから、科学技術の進展を待つことなく、現時点で考えうる手法によってその対策を進めている 。「気候変動を踏まえた治水計画のあり方提言」(2021年、国土交通省)では、気候変動の予測結果は将来見直される可能性もあるものの、河川整備基本方針についても順次見直すべきとしている。
③雨の降り方と河川の流れ方
計画規模など基準となる発生確率を考える際には、降雨波形や流量波形など洪水の特徴を考慮することが重要と言える(図表2)。発生確率は、過去実績データや予測データから観測期間中に基準値を超える事象の発生頻度を求めたもので、例えば「100年に1度」や「1/100」のように表現される。決して降雨量が1/100の降雨シナリオを適用しておけば良いということではない。現在進められている河川整備基本方針の見直しでは、計画規模相当の発生確率の複数の降雨波形および流量波形が考慮されている 。
3.まちづくりの水害対策
(1)水災害リスクの分析
気候変動の影響により水災害の激甚化・頻発化が懸念されることから、まちづくりにおいてもその対策は欠かせない。国土交通省公表の「水災害リスクを踏まえた防災まちづくりのガイドライン 」(2021年5月)では、水災害に強いまちづくりを目指すことが必要と示された。
2020年に「立地適正化計画の手引き」に防災指針の作成 が追加された。防災指針は、災害のリスク分析や課題抽出を通じて、まちづくりにおける防災・減災対策を位置付けるもので、2022年12月末現在で110都市13が既に作成を終えている。同手引きでは、 防災指針に基づいた実効的な取組とするためには、災害リスクを踏まえた居住人口等の定量的な目標設定を行うことが必要としている。
ここで先行する熊本市の取組事例を紹介する。多段階の発生確率の水害リスクマップ14を活用して災害リスクを分析し(図表3) 、 防災指針を立地適正化計画に取り入れている15。一定の確率(白川水系河川整備基本方針の目標1/150)以上の頻度での発生可能性がある浸水リスクを明らかにし、避難の現実性などの分析を行っている。また、河川整備計画等が完了することで浸水リスクが低減することを確認している。災害リスク分析に基づいて地区ごとの防災上の課題を明らかにした上で、浸水域の人口を20年後に現在の約2割減とする目標値を設定している。
(2)後戻りのないまちづくり
前述の「水災害リスクを踏まえた防災まちづくりのガイドライン」では、多段階の発生確率ごとの浸水想定区域図の活用や、地域ごとの水災害リスクの評価方法が示され、水災害リスク対策には気候変動の影響による降雨規模の増大への留意が必要とも言及されている。
今後、立地適正化計画において、熊本市同様に多段階の発生確率の水害リスクマップ活用が進むものと考えられる。しかしながら、 気候変動の影響をどのように考慮していくのか、現時点では明確な手法は示されていない。 留意が必要なのは主に2点だ。1点目は、 同規模の水災害であっても現時点よりも2℃上昇時の発生頻度が高くなり、現在計画している河川整備計画等だけでは想定していた中高頻度における水災害のリスクを低減できない可能性がある点だ。もう1点は、気候変動によって降雨パターンに変化が見られ、現在では想定できない災害リスクが発生しうるということだ。 いずれも、 前述2.同様に気候変動の影響を踏まえた見直しが必要か、その影響を予測することで検討が可能となる。
まちづくりは20年後や30年後を見据えて計画され、実行されていく。 立地適正化計画が数年ごとに見直しされるとはいえ、 現時点で2℃上昇などの気候変動シナリオにおける水災害リスクを想定し、まちづくりに後戻りを発生させないことは重要な視点だ。 立地適正化計画は自治体が自ら策定するもので、自治体独自の検討には限界があることを考慮すれば、具体的な手法について様々な研究が進み、国によって採択され指針として提示されていくことが期待される。
4.むすびに
企業に目を向けると、TCFD(気候関連財務情報開示タスクフォース) 提言16に基づいて、気候変動関連の情報開示が進んでいる。 その一環として、気候変動に伴う物理的リスクとして、気候変動による災害リスクを定量的に評価する取組が進んでおり、将来の気候変動シナリオに基づいた洪水予測が活用されている。
政策面では、将来の気候変動シナリオに基づいた洪水予測の活用が、治水計画の見直しから始まったが、まちづくりはこれからだ。 今後も多様な研究や科学技術の進展により、予測モデルの高度化が図られていくであろう。 地域ごとの災害リスク分析やその 対策立案において、気候変動の影響を考慮した洪水予測をベースに活用事例や基準づくりが進み、後戻りのない政策が実現することに期待したい。
- IPCC “AR6 Synthesis Report Climate Change 2023 Summary for Policymakers”, Mar.,2023
- 気候変動を踏まえた治水計画のあり方提言改訂版概要(2021年、国土交通省)
- 新宮川水系、五ヶ瀬川水系、球磨川水系、十勝川水系、阿武隈川水系、多摩川水系および関川水系の7水系(2023年3月末現在) 国土交通省 Web サイト (visited Mar. 29th , 2023)
<https://www.mlit.go.jp/report/press/mizukokudo03_hh_001161.html> - 「地球温暖化対策に資するアンサンブル気候予測データベース、database for Policy Decision making for Future climate change (d4PDF) 」 Webサイト (visited Mar. 21st , 2023) <https://www.miroc-gcm.jp/d4PDF/index.html>
- 「気候変動を踏まえた治水計画の前提となる外力の設定にかかる予測モデルの評価」(2019年、国土交通省)
- 「気候変動を踏まえた基本高水の設定等の考え方」(2021 年、国土交通省)
- 同上
- 北海道は1.15、北海道以外の地域は1.1(気候変動を踏まえた治水計画のあり方提言改訂版概要 2021年、国土交通省))
- 「「新宮川水系河川整備基本方針」の変更について」(2021年、国土交通省)
- 「気候変動を踏まえた治水計画のあり方提言 ~参考資料~」 (2021年、国土交通省)
- 「気候変動を踏まえた新たな河川整備基本方針の策定」 (2021年、国土交通省)
- 「地球温暖化が近年の日本の豪雨に与えた影響を評価しました」(2020年10月、気象研究所他)<https://www.mri-jma.go.jp/Topics/R02/021020/press_release021020.pdf >、「近年の気温上昇が令和元年東日本台風の大雨に与えた影響」
2020年12月、気象研究所他)<https://www.mri-jma.go.jp/Topics/R02/021224-1/press_release021224-1.pdf> - 国土交通省 Webサイト (visited Mar. 21st ,2023) <https://www.mlit.go.jp/toshi/city_plan/content/001587366.pdf>
- 国土交通省 Webサイト (visited Mar. 22nd , 2023) <https://www.mlit.go.jp/report/press/mizukokudo04_hh_000197.html>
- 熊本市立地適正化計画(2021年、熊本市)
- TCFD(Task Force on Climate related Financial Disclosures )”Final Report: Recommendations of the Task Force on Climate related Financial Disclosures” , Jul.,2017
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