ネットワーク化するパーソナルヘルスレコード ~生活密着型のPHRサービスへの活用~
1.はじめに
個人の健康診断結果や服薬履歴、自らが日々測定するバイタルサインなどの健康情報であるパーソナルヘルスレコード(PHR)を記録管理して個人の健康づくりなどに活用する、PHRサービスのネットワーク化が医療分野を中心に徐々に進んでいる1。医療機関のデジタル化2や、PHRの有効活用を目指す積極的な政府施策3がその原動力になっている。
がん、心疾患や高血圧などの循環器系の疾患、糖尿病などの生活習慣病は日本人の死因の5割以上4を占めており、人々が健康を損なう大きな要因となっている。生活習慣病は日々の食事・運動・喫煙などの生活習慣の影響を強く受けるが、自らの健康づくりのために生活習慣を変えることが難しい人(健康無関心層)は多い。そこで、PHRサービスを医療分野だけでなく、金融・小売・食品・レジャーなどのより生活に密着した分野で幅広く提供し、利用者に健康よりも実感しやすい身近なメリットを示すことが人々の健康づくりにつながると期待されている。
本稿では、ネットワーク化が進むPHRの現況と、それを活かして幅広い分野の企業が生活密着型のPHRサービスを提供していく可能性をレポートする。
2.ネットワーク化するPHR
PHRのネットワーク化により、1つのPHRが様々な目的のサービスに利用されるようになってきている。そして、それぞれのサービスがさらに効果・利便性を高めるために時には医療分野の垣根を越えてネットワークを広げている。
そのために、一見同じPHRサービスが異なった目的で提供されており、各サービスの位置づけを判りにくくしている。そこで、本稿ではPHRサービスを利用目的ごとに4類型に分類し、各サービスの提供目的を整理しながら各種データ基盤とのネットワーク化の状況を確認していく≪図表1≫。
(1)医療機関の電子カルテデータなどとの連携
医療機関が保有する電子カルテなどのシステムとデータ連携するPHRサービスが増えている。電子カルテには、傷病名・薬剤の処方・アレルギー情報・検査結果・所見・治療方針などの診療に関わる様々な情報が記録される。これらのデータをPHRサービスに連携し患者本人やその家族が閲覧できるようにすることで、患者本人の健康増進への動機付けや、高齢患者の治療内容を把握したい家族への情報共有などに活用できる(利用目的①)。さらに、患者が入力した血圧や食事記録などのデータを医療機関側で参照し、生活習慣病の治療を補助することや、痛みや治療満足度などの患者報告アウトカム(PRO)を把握することもできる(利用目的③)。患者・医療機関双方の利便性を高めるために、医療機関の診療予約などの機能を付加したPHRサービスも存在する。
一方で、患者は受診する医療機関を自由に選択でき、入院などを転機に通院先を変えてしまうことも多い。そのため、単一の医療機関の電子カルテと連携したPHRサービスでは個人ごとに縦断的・網羅的なデータを参照できず、効果的な健康増進や疾病管理を実現しにくい。そこで、特定地域内の医療機関が各々の電子カルテなどのデータを共有する「地域医療情報連携ネットワーク」と連携し、より網羅的な情報を記録管理するPHRサービスの提供が進んでいる。
長崎県で展開されている「あじさいネット」は、県下で広く活用されている地域医療情報連携ネットワークだ。地域医療の中心となる地域医療支援病院11施設全てを含む38施設が電子カルテなどのデータをネットワークに提供しており、診療所を中心とした367施設がその情報を閲覧できる5。地域の病院・診療所が、他の医療機関における過去の診療情報を参照し、質の高い医療を効率的に提供できる。あじさいネットは、2020年からオンライン診療システム「YaDoc」を運営するインテグリティ・ヘルスケアと提携し、ネットワークに参加する医療機関にオンライン診療機能を提供している≪図表2≫。あじさいネットと連携した医療機関の電子カルテからオンライン診療機能を利用できるようにすることで、利便性を高めている。さらに、2022年には家庭用の体温計・体重計・血圧計・パルスオキシメーター・活動量計などのデバイスを医療機関に貸与し、患者の日常のバイタルデータを遠隔モニタリングする事業を開始している。モニタリングしたデータをオンライン診療機能から参照し、治療に活用できる。患者のPHRであるバイタルデータを地域の医療機関の電子カルテデータと接続し、さらにオンライン診療などの機能と組み合わせることで、サービス全体として生活習慣病の治療を補助する効果を高めている(利用目的③)。
また、地域で共有されたPHRは、災害時に掛かりつけでない医療機関に救急搬送された患者の治療などにも活用できる(利用目的④)。
(2)自治体のデータ連携基盤との連携
自治体のデータ連携基盤を活用するPHRサービスも増えている。
政府は、デジタル田園都市国家構想推進交付金により、高齢化などの地域の課題にデジタルを活用して対処する自治体を支援している。2022年6月、データ連携基盤を構築して新規性の高いサービスの実装を目指す27自治体の事業が、交付事業として採択された(令和3年度補正予算、デジタル実装Type2およびType3)6。増加する高齢住民の健康づくりや見守り体制の構築、過疎化が進むなかでの効率的な医療提供体制の維持は、多くの地域に共通する課題だ。これらの課題に対処するためには、住民が日々記録管理する健康情報であるPHRを、自治体が保有する行政データや地域の医療機関が保有する電子カルテなどのデータと組み合わせて健康づくりや見守りなどに利用することが有力な選択肢となる。そのために、複数の自治体がデータ連携基盤を活用したPHRサービスの構築を目指している。
例えば、福島県会津若松市、石川県能美市、岡山県吉備中央町は、地域の医療機関が保有する電子カルテなどの診療情報を自治体のデータ連携基盤を通じてPHRサービスに共有し、オンライン診療や地域の医療介護サービスとの連携、救急医療、母子保健などに活用しようとしている(利用目的②・③)7。
また、PHRサービスが記録管理する情報を、医療分野だけでなくより人々の生活に密着した分野でサービスを提供する事業で活用しようとする動きもある。北海道更別村が推進している「更別村SUPER VILLAGE構想」では、SOMPO Light Vortexが提供するスマホアプリによるPHRサービス「With Health」が、健診結果やワクチン接種記録の管理、健診結果に基づき生活習慣病の発症リスクを予測する機能などを提供している8。このデータは、住民の「心と体の健康と安心」の実現を目指して地域密着型の活動を行うコミュニティナース事業者に自治体のデータ連携基盤を通じて連携され、活用されている(利用目的②)9。
現在(2023年2月)、政府は令和4年度2次補正予算に基づく新たな交付金事業の選定を進めている。引き続き自治体のデータ連携基盤の活用が選定条件となっており、自治体のデータ連携基盤とPHRが融合した実効性の高いPHRサービスの社会実装につながっていくことが期待される。
(3)マイナポータルとの連携
2020年10月、政府が運営するマイナポータルで、医療費通知や特定健診、予防接種履歴などのPHRを本人が閲覧することが可能となった。閲覧できるデータは徐々に拡大しており、2023年1月からは、同月に運用が開始された電子処方箋の処方情報も、タイムリーに確認できるようになっている(利用目的①)。また、個々人がマイナポータルで閲覧できるデータを、利用者の同意を得た上で民間事業者などへ連携する「医療保険情報取得API」機能が提供されている。民間事業者が医療保険情報取得API機能を活用するためには、所定のガイドライン10に従って個人情報保護法よりも厳格な情報管理を行うなどの要件を満たしたうえで、マイナポータルを所管するデジタル庁の承認を得る必要がある。承認を得る手間・コストは伴うものの、医療機関受診時に必ず生成される比較的信頼性の高いレセプトなどのデータを、民間事業者がマイナポータル経由でPHRサービスに活用できる余地は大きいとみられる。
現時点では、神奈川県の「マイME-BYOカルテ」、PSPの「NOBORI」、電通が福岡市・九州大学と連携して提供する「Tsunagu PHR」、前述のSOMPO Light Vortexの「With Health」、NTTドコモの「健康マイレージ」といったPHRサービスがマイナポータルとの連携を実施している(利用目的①・②)。ガイドラインの遵守やデジタル庁の承認取得に関する民間事業者側のノウハウの蓄積によって連携に伴う実質的な手間・コストが低下し、マイナポータルとの連携がさらに拡大していくことが期待される。
3.生活密着型のPHRサービスへの活用
PHRのネットワーク化により、医療機関や行政が蓄積している。個人に紐づいた顕名のデータを本人の同意の下でPHRサービスに活用できるようになってきている。また、PHRサービスが記録管理するデータを外部に連携して活用することも可能となる。その結果、医療・製薬・医療機器などの医療分野だけでなく、金融・小売り・食品・レジャーなどの幅広い分野で生活密着型のPHRサービスを提供する余地が生じてきている。
そのような動きの一つが個人の購買データとの連携だ。2022年11月、大分県にスーパーを展開するスーパー細川と東芝データは、スーパーの購買データをリンクアンドコミュニケーションが提供するスマホアプリによるPHRサービス「カロママ プラス」に連携し、健康増進に役立つ商品や運動コンテンツを提案する実証実験を開始することを公表した11≪図表3≫。スマホアプリが取得する食事情報にスーパーの購買データを加えて栄養素を解析し、本人に適したレシピ・食品・運動メニューなどを推奨する。スーパーの会員カードをアプリに紐づけ、利用者が会計時にスーパーの会員カードを提示するだけで購買データがPHRサービスに連携される仕組みとなっており、レシートをスマホカメラで読み込むなどの従来方式よりも利用者の生活に密着したサービスを実現している。レシピや食品の推奨を通じたスーパーの販売促進効果も期待できる。
また、NTTドコモは、スマホから得られる位置情報や操作履歴などのログを基に利用者のフレイルリスクを推定するAIや、他の生活習慣病リスクを推定するAIなどの機能をAPIで提供する「ヘルステック基盤」を構築することを公表している12。このような機能は、企業が生活密着型のPHRサービスを実現するために活用できる。自社の顧客にフレイルや生活習慣病などのリスクを案内し、それらのリスクに対する予防・共生の働き掛けや、顧客の特性を踏まえて個別化されたサービスの提供につなげていける可能性がある。
4.課題と展望
実際のところ、PHRサービスが普及していくためには依然多くの課題がある。PHRサービスのネットワーク化は、サービス間の相互運用性を確保する必要性を益々高めている。医療分野では電子カルテなどのデータを標準化しシステムの相互運用性を確保する取組みが進められており、これと歩調を合わせてPHRサービスもデータ標準化などの取組みを進めていく必要がある。ネットワーク化はPHRサービスにデータを預ける個人のセキュリティへの不安も高め、高齢者などのデジタル弱者を置き去りにしてしまう可能性もある。幅広い利用者を包摂し、理解しやすい方法で、適切なデータガバナンスを実現することも求められる。また、運営コストの観点も含めて持続可能なビジネスモデルを構築することも大きな課題となっている。
一方で、ネットワーク化の深化よる生活密着型のPHRサービスの一層の利便性の向上にこそ、利用者に健康よりも実感しやすい身近なメリットを示し、健康づくりを実現できる可能性がある。また、API連携などにより活用できる外部資源の蓄積がサービスコストを低下する効果も期待できる。そのため、金融・小売り・食品・レジャーなどの幅広い分野で企業が自社の既存顧客やサービスとPHRサービスを組み合わせて活用する余地が生じてきている。このような観点から、ネットワーク化が進むPHRに改めて着目してはどうだろうか。
- NTTデータ「民間PHRサービスの現状と課題に係る調査の結果」(2022年3月)によると、アンケートに回答した事業者が提供するPHRサービスの21.2%は、医療機関の電子カルテなどのシステムとデータ連携して運用されていた。また、2割程度の事業者は政府が推進するマイナポータルとのデータ連携を実施または検討中と回答した。
- 厚生労働省「医療施設調査」(2022年4月)によると医療機関の電子カルテ導入率は、2017年に一般病院で46.7%、診療所で41.6%のところ、2020年に一般病院で57.2%、一般診療所で49.9%に上昇している。
- 「経済財政運営と改革の基本方針2022」(2022年6月)は、「データヘルス改革に関する工程表にのっとりPHRの推進等改革を着実に実行する」ことを掲げている。
- 厚生労働省「令和3年人口動態統計月報年計(概数)」(2022年6月)によると、死亡総数に占める割合は、悪性新生物26.5%、循環器系の疾患24.8%、慢性閉塞性肺疾患1.1%、糖尿病1.0%となっている。
- 特定非営利活動法人長崎地域医療連携ネットワークシステム協議会のホームページ (visited Feb. 20, 2023)
< http://www.ajisai-net.org/ajisai/index.htm >。 - 内閣官房デジタル田園都市国家構想実現会議事務局・内閣府地方創生推進事務局のホームページ (visited Feb. 20, 2023)
< https://www.chisou.go.jp/sousei/about/mirai/policy/policy6.html >。 - 同上。
- SOMPO Light Vortexのホームページ (visited Feb. 20, 2023) < https://withhealth.lightvortex.com/ >。
- 更別村スーパービレッジ協議会のホームページ (visited Feb. 20, 2023) < https://sarabetsu-portal.jp/ >。
- 総務省、厚生労働省、経済産業省「民間 PHR 事業者による健診等情報の取扱いに関する基本的指針」(2022年4月一部改正)
- 東芝データのホームページ (visited Feb. 20, 2023) < https://www.global.toshiba/jp/news/data-corp/2022/11/20221128.html >。
- NTTドコモのホームページ (visited Feb. 20, 2023) < https://www.docomo.ne.jp/info/news_release/2022/09/26_02.html >。
PDF:MB
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