企画・公共政策

人手不足が迫る賃上げ

副主任研究員 水ノ上 博一

コロナ禍により、減少した労働力人口は、未だ回復しきれずにいる。以前の労働力人口の拡大基調は失われた可能性があり、今後更に人手不足が加速するおそれがある。サービス業では既に人手不足が顕在化しており、特に人手不足感の大きい飲食店では他業種より積極的に賃上げによる人材確保に動く様子が見られる。賃金版フィリップス曲線を描くと、コロナ禍前の2019 年には従来のトレンドを超えて賃金が上昇する兆しがみられていた。女性や高齢者を中心とした労働力供給に限界がきたとき、今後同じような賃上げが加速する可能性がある。

1.はじめに

実質賃金の低下が問題となっている。厚生労働省が2022年11月9日に公表した毎月勤労統計(速報、従業員5人以上)によると、7-9月期の1人当たりの実質賃金は前年同期比1.7%減となった。その要因は原材料高や円安といった外的要因による消費者物価の高騰である。こうした物価高が春闘を経てどれだけ賃金上昇に反映されるかが、世間では目下の関心事項である。連合では定期昇給を含めて5%の賃上げを目標とするとした。一方で、物価の高騰については前述のとおり外的要因が大きく、名目賃金が持続的に上昇するためには、労働需給に焦点をあてることが重要である。賃金は企業の求人(需要)と働き手の数(供給)によって決まる。わが国において労働力供給は2012年以降、長らく拡大傾向にあっが、コロナ禍を経て足元では弱さを見せている。本稿では、労働供給の側面から、賃上げの可能性について論じたい。

2.労働供給の変遷

(1)コロナ前から続く拡大傾向の限界

わが国では、これまで「一億総活躍」を推進し、労働力人口を拡大してきた。2013年以降、労働力人口は増加の一途を辿り、2019年までの7年間で5%以上増えた。15歳以上人口が2010年にピークを迎えたにも関わらず、労働力人口が拡大を続けてきたのは高齢者や女性の労働参画が主な要因とされる≪図表1・2・3≫。

そのような労働供給の拡大局面にあっても、2019 年にはバブル期以来の人手不足が生じることとなった。有効求人倍率はバブル期以降で最高値となり、働き手確保の状況を示す雇用判断DI もバブル以降の最低値を示した。

その後、コロナ禍に突入した2020 年春には、労働力人口は大きく落ち込むこととなる。足元ではコロナ禍の影響から回復傾向にあるものの、コロナ前の水準に達していないほか、以前の増加基調は失われてしまったように見える。20 年の労働力人口の増加率は▲0.1%、21 年の増加率は+0.1%にとどまる。今後労働力人口はコロナ禍からの経済回復に応じて一定程度回復傾向に向かうと思われる。しかし、更なる高齢化による退職者増や、女性の社会進出の進展によりM 字カーブが解消されつつあることを考えると、上積みの余地はかつてより小さくなっていると考えられる。

(2)構造変化の可能性


コロナ禍によって就業に影響を受けたのは主に非正規雇用者である。わが国では雇用調整助成金により失業率の上昇は抑えられたものの、子育て世帯の女性や学生が非労働力(就業しておらず、かつ就業の意思のない状態)化した。特に、「宿泊業、飲食サービス業」など、対人サービス業において女性の非正規雇用者の減少が指摘された1。コロナ禍により減少した非正規雇用者数は依然コロナ前の水準へ回復していない。≪図表4≫

コロナ禍によって構造変化が起きた可能性も考慮しておくべきである。米国では、コロナ禍によって、離職者が大幅に増える「大退職時代(the Great Resignation)」が問題となった。トランプ・バイデン政権の財政拡張政策により一時所得が急増し、即座に復職する意欲が下がったことや、日本のように休業という形で雇用者をとどめ置かない(=解雇しやすい)労働慣行が影響したといわれている。他にも、コロナ禍の長期化に伴い、自らのキャリアを考え直す人が増えたことや、感染リスクの高い仕事を回避している可能性も指摘されている。今や米国はコロナ禍からの脱却を果たしたようにみえるが、依然サービス業の人手不足感は高く、サービスの求人率は依然高水準である 2

わが国では、米国ほどの労働需給のひっ迫には至っていない。前に述べたように、全体としての失業率の上昇が抑えられたことや、急激な経済回復には至っていないことが要因と考えられる。しかし、戻りの弱い非正規雇用者数が、米国のように中々労働市場に戻ってこない事態に陥れば、人手不足感が加速する可能性がある。

3.サービス業で顕著な人手不足


国内経済に目を向けると、本年8月から9月にかけて、新型コロナウイルスの感染者数が急増した一方で、従来の行動制限は設けず、経済活動との共存を模索してきた。今秋より全国旅行支援が開始したほか、水際対策についても大幅に緩和を行い、本格的に経済正常化へと舵を切っている。円安効果もあり、10月の外国人旅行者数は前月の2.4倍となった。飲食店の予約数やクレジットカードによる消費支出からみても、足元では急速に飲食店や宿泊業の経済活動が活発化している。需要の拡大に伴い、宿泊・飲食業では人手不足が深刻になりつつある。人手不足感を示す雇用状況DIをみると、宿泊・飲食業はサービス業の中でも際立って人手が不足している上に、先行きは更に不足すると見込まれている≪図表5≫。

アルバイト・パート募集時平均時給調査(10月)では、時給が3か月連続で過去最高を更新した。最低賃金の上昇もあるため、人手不足のみが理由であるとは一概にはいえないものの、飲食業に関連する「フード系」が前年同月比+5.3%と最も上昇幅が高い結果となった 3。人手不足が激しい業種が働き手の確保に必死になっている状況が伺える。宿泊・飲食以外のサービス業でも人手不足が顕在化しており、賃上げで人手の確保につなげる動きが出ている4

4.労働需給ひっ迫と賃金の状況

一方で、近年(コロナ前まで)の人手不足は持続的な賃金上昇に繋がってこなかった現実がある。人手不足と賃金の関係について、コロナ前後を比較するため賃金版フィリップス曲線を描いた5 ≪図表6≫。2013年以前までのトレンドを表す青線が示すように人手不足感が進むほど時間あたり名目賃金が上昇する流れにあった。しかし、労働力人口の拡大が始まった2013年以降からコロナ前に限った紫色の分布をみると、下方シフトしたうえで傾きがフラット化した様子が見受けられる。人手不足下にあっても賃金は以前ほど上昇せず、長く低迷してきた賃金の実態が表れている。

ここには「構成バイアス」の存在がある。人手不足の際に、企業は相対的に正社員より非正規雇用者を欲するようになった。また、人手不足にあたって非正規雇用者の賃金を上げた際に、それに反応して労働供給量を増やす人々(女性や高齢者)が存在していた。こうしたことが、賃金の低いパートタイム(≒非正規雇用者)比率を押し上げ、全体としての一人あたり平均賃金の伸び悩みにつながったと考えられる。また、豊富な供給の中、非正規雇用者の賃金上昇が限定的であり、正社員化への代替が起こりづらかったことも正社員賃金の上昇を阻んだと考えられる。

コロナ禍以降の分布を赤で示しているが、特に上昇しているとはいえない。特に時間あたり名目賃金の上昇幅が大きい20年第2四半期や、第3四半期は前年に比べパートタイム比率が大幅に減少した時期である。22年第2四半期・第3四半期は非正規雇用者数が回復傾向にあり≪図表2≫、コロナ前のトレンド線(紫)に近い分布を示す。22年第4四半期についても、サービス業の回復による非正規雇用者数の増加から、コロナ前同様、人手不足の上昇に対して平均賃金が鈍い動きをすると思われる。

今後人手不足感が加速する中、注目したいのは三角マーカーで示した2019年の値だ。有効求人倍率がバブル期以降の最高値をマークした2019年は、パートタイム比率が前年比で僅かに上昇しているにも関わらず、時間あたり賃金はトレンドを少し上回る流れが見られた。非正規雇用者数(含むパートタイマー)の割合増による平均賃金低下の影響を賃上げ効果が上回った可能性がある。非正規雇用者の需要に対し、供給が枯渇したとすれば、今後同様の動きをするか注視する必要がある。

5.最後に

 新興国では、賃金水準の低い農村からの労働供給が底を尽くと急に賃金が上がることがある。これは「ルイスの転換点」と呼ばれるものである。これを、わが国における上がらない賃金の状況に関連付ける説がある6 。女性や高齢者といった今まで労働力の供給に寄与してきた源泉に限界がきたとき、すなわち日本版「ルイスの転換点」に到達したとき、労働需給のひっ迫が賃金に素直に反映される可能性があるというものである。この説からすると、仮にコロナ禍によって労働市場を退出した人々が復帰しない場合、転換点はより近づいた可能性がある。経済正常化に伴い再び労働需給がひっ迫すれば、2019年のように賃金版フィリップス曲線の傾きが上向くのではないか。
 なお、労働力の供給面のみに着目して賃金について考察したが、「転換点」に到達するには労働力の需要が伸び続けることが必要だ。賃金の支出主体は企業であり、求人数を増やすには業績向上が不可欠だ。物価上昇により賃上げの気運は今までになく高まっているように見える。製造大企業や一部の非製造大企業は円安による好業績 を想定する。冒頭に述べたように、連合は定期昇給を含めた5%の賃上げ要求行う予定だ。一方で、円安は内需型の非製造業には業績悪化要因である。内需は経済正常化によるプラス要因と物価高のマイナス要因の綱引き状態で苦しい中、一部飲食業等では人手不足を要因として、非正規雇用を中心に賃上げが進んでいる。こうした状況下で、好業績企業を皮切りに賃上げを行い、所得上昇を原資として国内消費へ循環していく必要がある。コロナ禍からの脱却と同時に、長引く賃金の低迷から脱する機会となることを期待したい。

  • 厚生労働省『令和3年版 労働経済の分析』(2021年7月16日)
  • 日本経済新聞 米求人急減、労働需給緩和の兆し サービスなお人手不足(2022年10月5日)
  • 2022年10月度 アルバイト・パート募集時平均時給調査【三大都市圏(首都圏・東海・関西)】(2022年11月15日)
  • 日本経済新聞 サービス業、賃上げ実施予定4割 本社調査(2022年10月18日) 
  • 縦軸を時間あたり賃金、横軸を有効求人倍率とする賃金曲線。傾きが大きいほど、人手不足に応じて賃金が上昇しているといえる。
  • 玄田有史編「人手不足なのになぜ賃金が上がらないのか」(2017年4月)第7章 人手不足と賃金停滞の併存は経済理論で説明できる(川口大司・原ひろみ)
  • 日本経済新聞[社説]企業は賃上げと値上げの循環を着実に(2022年11月19日)

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