すでに起こりつつある気候変動による影響に対して被害を回避・軽減する取組は「適応策」と言われる。気候変動の原因となるGHG排出を削減する「緩和策」とともに、気候変動対策として双方欠かすことができない(図表1)が、「適応」の考えは充分に浸透していないのが実情だ2。
適応策には、将来の気温上昇に応じた農産物の品種改良、増加が見込まれる熱中症・感染症への対策、そして豪雨災害への対策として、インフラ整備など政府・自治体が取り組むべきものから、企業が事業継続のために独自で取り組む対策など様々である。
世界がカーボンニュートラルの実現に向けて動き出している。一方で、これまで排出された温室効果ガス(GHG)の蓄積によって一定の気温上昇は避けられない。地球温暖化は確実に進行している。例えば、気温上昇とともに降水のパターンが変化し、豪雨災害の激甚化・頻発化が予測されている1。
すでに起こりつつある気候変動による影響に対して被害を回避・軽減する取組は「適応策」と言われる。気候変動の原因となるGHG排出を削減する「緩和策」とともに、気候変動対策として双方欠かすことができない(図表1)が、「適応」の考えは充分に浸透していないのが実情だ2。
適応策には、将来の気温上昇に応じた農産物の品種改良、増加が見込まれる熱中症・感染症への対策、そして豪雨災害への対策として、インフラ整備など政府・自治体が取り組むべきものから、企業が事業継続のために独自で取り組む対策など様々である。
現状では、気候変動によって事業に直接的な影響を受ける可能性が高い業種・企業にて、適応策の取組が先行する。例えば、食品業は、原料となる農産物の品質・収量の変化を分析し、品種改良や生産管理手法改善などに取り組んでいる。
スターバックスは、気温上昇により収穫量が減少しているコロンビアのコーヒー豆の生産者を支援している3。気温上昇に伴って発生する害虫の防除策の指導、日陰を作る「シェードツリー」の植樹によってコーヒー豆が受ける気温の影響を調節する管理方法の指導、水や土壌の管理を促進している。高品質なコーヒー豆の長期的な生産を支援することで、原材料の品質・収量の維持に取り組んでいる。
他方、国連環境計画(UNEP)は、農業・観光・保険分野を除いては適応策への民間の関与が低いと報告している4。
気候変動による影響には、徐々に進行する気温上昇・海面上昇・降水パターン変化等による影響と、異常気象などの極端現象の激甚化による影響と両面がある。特に、途上国は日本などの先進国と比べて気候変動に対して一般に脆弱であり、異常気象の影響が甚大になるケースが多い。企業にとって途上国のサプライチェーンにおいて洪水被害や干ばつによる水資源不足が発生すれば、事業活動の中断といった重大な影響が生じうる。企業には気候変動による事業への多様な影響を確認し、企業のリスクとして認識し、適応策に取り組むことが求められる。
しかし、気候変動には次の特徴がある。
①気候変動が進行しているものの、様々な異常気象を気候変動の影響と断定しにくい5
②顕著な影響・被害がなければ対策の優先順位が上がらない6
③影響が発現する時期が定かではなく7、対応の緊急性に乏しい
不確実性のある気候変動に企業がどのように対処していくかが課題といえるが、気候変動リスクは高度の複雑性と不確実性が介在することから、科学的合理性だけでは社会的な判断を下すことができない課題であるとの研究報告がある8。
企業が取り組む手順としては、気候変動が事業に与える影響を洗い出し、その影響度と発現可能性を評価し、対策実施の可否と優先順位を取り決めることである9,10ものの、前述の気候変動の特徴から、その意思決定は決して容易ではない。企業には、影響評価などの知見を収集し、不確実性を考慮してシナリオとして多様な将来像を描き、新たな科学的情報が得られれば柔軟にシナリオ・対策を見直していくことが求められる11。
不確実性のある気候変動に対して、企業の意思決定を後押しする要素を3つ挙げる。
一つ目は、気候変動の影響に関する科学的知見や社会・企業の動向等の情報を収集し、事業への影響の分析に努めることだ。企業内にその重要性が認識されれば、適応策の取組の優先順位が高まるだろう。二つ目は、気候関連財務情報開示タスクフォース(TCFD)の提言12に基づいた情報開示であり、三つ目は社会的要請・動向の変化である。
二つ目のTCFD提言に基づいた情報開示について紹介する。TCFD提言は、気候関連リスクおよび機会に関して、①ガバナンス、②戦略、③リスク管理、④指標と目標の4項目を開示することを企業等に推奨している(図表2)。気候関連リスクは、低炭素経済への移行に関するリスク(移行リスク)と、気候変動による物理的変化に関するリスク(物理的リスク)に大別され、物理的リスクへの対応策が適応策といえる。
世界全体では1,900の企業・機関がTCFDへの賛同を表明し、うち日本が356を占め国別では世界最多である(2021年3月25日時点)13。企業は、気候変動に関する情報開示を行うことで、主体的に影響評価等の分析と適応策の検討を進めていくことになる。また、分析・情報開示・戦略見直しのサイクルを繰り返し進化させる14ことで、企業の実情に適した適応策が実現されていく。
先進的な取組をする日本企業として、積水化学工業の事例を紹介する。同社は従前からCSRの取組を促進しており、その一環として洪水対策などの環境対策製品の販売に注力してきた。気候変動に関しては、企業にとって重要なリスクと認識しながらも、社内には様々な意見があったことが公表資料に記載されている。公表資料では、他のリスクと比較した場合の重みづけの根拠が不足、不確かなものにどのレベルまで取組・投資するかの線引きが困難、長期課題の前に短中期課題の解決が優先、といった内容が示されている15。そうした中で2018年にTCFDへ賛同することが契機となり、取組が大きく進展したという。情報開示に向けて、気候変動リスクに関する情報収集を行い、将来像を複数のシナリオで描くことで影響の分析・評価を行った上で、同社のリスク管理において主要なリスクの1つと位置づけた16。現在では、多様な適応策に取り組んでいるが、例えば気候変動に伴う自然災害や原材料調達のリスクから、生産拠点のグローバル分散化などを進めている17。
企業にとってもう一つ重要な観点が、適応ビジネスである。適応ビジネスとは、自社の製品・サービスを他者の適応策促進のために展開するもので、TCFD提言に掲げる「機会」に該当する。例えば前述の積水化学工業は、駐車場や公園などの地下に雨水を一時貯留することで洪水被害を抑制する雨水貯留システム「クロスウェーブ」を、アジア諸国・日本国内などに適応ビジネスとして展開している18。
世界適応委員会(GCA)は、適応策への1.8兆米ドルの投資によって7.1兆米ドルの損失回避と社会的・環境的便益が得られると試算している19。自然災害に対応したインフラ強靭化や早期警戒システム構築による損失回避だけでなく、新たな技術・市場の創出といった経済的便益も含まれる。
途上国の適応策のニーズは高く、必要な費用は、現時点で年間700億米ドル、2030年には1,400~3,000億米ドル、2050年には2,800~5,000億米ドルに達すると推定される20。現在の気候変動適応資金の年間フローは約300億米ドルで必要額には遠く及ばない21。
今年1月に、適応に関する行動を世界で加速させることや、適応資金の増加策を協議するため気候適応サミットが開催され、50人超の閣僚および国際機関リーダーが参加した。適応資金増加に関しては各国や国際機関のリーダーから多くの発言があり、グテーレス国連事務総長も気候関連のファイナンスの50%を適応とレジリエンス22に関する事業へ配分することを求めた23。国際的にも適応策促進の機運は高まっており、企業にとって自社の技術を活用できる適応ビジネスの機会が広がることが期待される。
世界で進展する適応策ではあるが、適応策の実施によってどのような効果が得られたのか、どの程度のリスク削減が図られたのか、これらの評価は進んでいない。適応策の結果に関する情報提供だけに限らず、進捗のモニタリングについても課題があると、UNEPは指摘する24。
緩和策にはGHG排出削減という明確な目標があり、GHG排出量はIPCC(気候変動に関する政府間パネル)のガイドラインを基準として算定可能であり、世界共通の枠組みとして進捗等の確認が可能だ25。
適応策は多岐にわたるため、緩和策に比べると一律に定量的な評価基準を設けることは容易ではないが、世界は動き出している。今年2月に改定されたEU気候変動適応戦略では、画一的な基準・指標の枠組みを用いることで適応策のモニタリング・報告・評価の進展に努めることとしている26。今後、適応策に世界共通の評価の枠組みが検討され、世界や国別に目標設定がなされ適応策推進が加速することが期待される。
日本では、企業の気候変動リスクについてTC提言に基づき開示を強化する検討が進められている27。実現すれば、日本企業の適応策の取組が大きく進展するものと考えられる。今後も、世界の適応策推進の動向と、企業の適応策の取組を注視していきたい。
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