シティ・モビリティ

2020年代はFCVの開発“共創”へ ~中国という巨大な実証実験場の出現~

主任研究員 新添 麻衣

世界最大の自動車市場を有する中国がFCV(燃料電池自動車)に舵を切った。トヨタのMIRAIが史上初の量産車として登場してから早5年が経過したが、“究極のエコカー”は普及には程遠い状況にある。次の10年、中国を大規模な実証実験場としたFCV開発はブレイクスルーをもたらすだろうか。本稿では、中国のFCV政策と日本企業にとっても新市場と呼べる現地のエコシステム形成について報告する。

1.はじめに ~契機となった全人代でのFCV推進宣言~

2019年3月、中国の国家最高権力機関である全国人民代表大会(全人代)において、李首相は「安定した自動車消費、新エネルギー車の購入のための優遇政策を継続し、充電設備や水素施設の建設を促進する。強力な国内市場の形成を促進し、内需の可能性を解放し続ける。」との政府活動報告1を行った2。中国では2009年以来、新エネルギー車(NEV)3のうち、特にBEV(バッテリー式電気自動車)の普及と国際競争力のあるメーカー育成のために手厚い購入補助金制度等を敷いてきた。FCVと水素インフラの推進政策が報告に盛り込まれたのは史上初のことで、中央政府の政策転換を強烈に印象付けた。

2020年に入ると、中国初のエネルギー基本法である「エネルギー法(能源法)」の草案が公表され、ここでも水素が主要エネルギー源の1つとして初めて明記された4。また、FCV振興策も具体化された。1,000台規模でFCV導入が見込まれるモデル地区を実証実験場として選定し、FCVの購入補助金制度のファンドをこれらの地区の開発資金として4年程度の短期間で集中投資する5。FCV普及のためには、購入時の一時的な補助よりも、技術開発やインフラ整備など地域単位のエコシステム形成を助成するほうが効果が高いと判断されたためである。

2.なぜ、FCVなのか ~BEVの限界と棲み分け~

中国のFCV振興は、大型の商用車から始まる。経済発展に伴って近代的な都市が複数形成され、都市間の人・モノの移動需要が高まっているが、開発の先行するBEVには以下の技術的な弱点がありトラックやバスには適さないことが分かってきたためだ6

―寒冷地ではバッテリー性能が下がり、航続距離200km以上にすることが困難7

―バッテリーを大容量化すると充電に長時間を要するうえ、エネルギー密度が高まり安全性確保が困難8

―バッテリーに必要なリチウム、コバルトは世界的な需要の高まりから価格が高騰しており、大型車では車両価格が高額化する9


これに対しFCVではマイナス30℃までの動作が保障された技術があり、タンク容量に比例して航続距離を伸ばすことも可能である。水素の充填時間もガソリンと同等の数分で済むため大型商用車に適性があると言える。スタックの触媒にはプラチナが用いられるのが一般的だが、産地が散在しており近年の価格は安定している。

中国政府は、市街地での移動(半径30km程度)ではBEVを主軸とするが、それ以外の都市間移動や市街地と郊外を結ぶ中長距離移動、高速移動にはFCVを用いる棲み分けの方針を打ち出したことになる10

尤も、既に中国はFCVの実用化が比較的進んでいる国ではある。2019年末時点で、商用車を中心に6,500台以上の車両と50以上の水素ステーションがあり、関連企業は400社以上存在しているとされる11

しかし、これまでは地方政府の助成等によって各地で技術開発が行われてきたため“ガラパゴス化”が進んでおり、日欧の技術水準に劣後する状況となっている。例えば、水素タンクの充填圧力は70Mpaがグローバル標準のところ、中国では30~35Mpaが主流となっており12、航行距離が伸び悩んでいる。中央政府がFCV政策を打ち出したに背景には、自国の輸送ニーズを満たすべく技術水準をグローバル標準に引き上げ、国際競争力のある新たな産業分野を創出したい狙いがある。

3.FCVエコシステム構想 ~“鶏と卵”からの脱却~

FCVを普及させるためには、高圧ガスである水素を扱う高い車両開発技術が当然に必要だが、同様に高度で高価な設備を要求される水素ステーションの設置、またどこから水素を取り出すのかという燃料の調達も並行して検討する必要がある。日欧で台数が伸び悩むのも、インフラが整わなければユーザーはFCVを選択せず、一方で安定した水素需要が見込まれなければステーションは稼働を続けられない、という鶏と卵の状況に陥っているためと言える13。さらに、こうして規模の経済が働かないことで車両部品もインフラ設備も価格が高止まりし、入手しづらいものになっているという悪循環が生まれている。

そこで中国では、①首都圏(北京、天津等)、②長江デルタ(上海を中心としたエリア)、③南部ベイエリア(広州、深圳、マカオ等)などのモデル地区に集中投資し、車両の開発から燃料の調達、インフラ整備まで一体開発を行う14。中心都市から外縁に向けて徐々にエコシステムを拡張し、2030年を目途にこれらの地域での計画遂行を目指す15。対象を大型商用車に絞って着手することで、規制枠組みを検討しやすい、走行ルートがある程度限定されるためステーションの立地を決定しやすい、大口の水素需要がコンスタントに発生するため水素価格の引き下げが期待できるという利点もある。

各エリアで産官学のイニチアチブが組成され、技術開発で先行する外資企業の参画も進んでいる。特に盛況なのが長江デルタである(<図表2>参照)。最高水準の技術を習得することで国際競争力を得たい中国と、自社の技術を実証したい外資企業の利害が一致を見た格好だ。

中国で外資企業がFCV関連の事業を行うには、最先端の技術の移転と現地生産が求められる16。日系ではトヨタグループが複数の現地企業へ基幹部品を提供しており17、燃料電池システムでトップシェアを持つ重塑科技にも技術提供している18


トヨタは、FCV導入初期段階においては普及を優先し、開発・市場導入を進める他の企業等との協調が重要との考えから、2015年以来FCVに関わる特許を無償公開してきた19。中国のBEVとFCVの棲み分け政策は、MIRAI公表当初から提示しているトヨタのコンセプトに非常に近しく(<図表3>参照)、長年の研究成果を活かせるFCVの実証実験場とパートナーをようやく手に入れた格好だ。FCV普及のモデルケースを作りたいトヨタの本気度は、自社ブランドで車両を開発することに拘らず、中国ではサプライヤーに徹している点からも窺える。常熟(江蘇省)では、今年1月にトヨタの基幹部品を搭載した海格客車のFCVバス20台が運行を開始し20、重塑科技とのトラックの走行実験も予定されている21。産官学の結びつきも強めており、豊田章男社長と李首相との会談を契機に理工系の最高学府である清華大学と「清華大学・トヨタ連合研究院」を立ち上げ、2019年から5年間、水素エネルギーと燃料電池に関する共同研究を行うこととしている22。様々な形で中国に知見を提供するトヨタにとって、最初のマイルストーンは2022年の北京五輪であろう。北汽福田汽車と展開する大規模なFCVバス網を通じて水素社会のモデルをいち早く世界に発信し、普及に弾みをつけたい狙いがある23

欧州企業の参画も活発になっている。インフラ側では、フランスのAir Liquideが上海の嘉定区に大型の水素ステーションを2基開設し、同エリアの200台のFCVトラックに水素補給を開始する24。Boschも中国の長距離トラック需要に目をつけ無錫(江蘇省)にドイツ国外では初となる燃料電池工場を建設する25。BEVに次ぎ、FCV関連でも中国が投資先として注目を集めている。

4.おわりに

現在、グローバルで量産されるFCVは、トヨタのMIRAI、ホンダのクラリティ、現代のNEXOの乗用車3車種のみである。大型商用車の量産には未知数の部分があるが、日本国内ではトヨタは日野自動車と、ホンダはいすゞ自動車と大型FCVトラックの共同開発に着手することを公表したほか26、27、三菱ふそうも2020年代後半の量産を目指すとしている28。欧州ではダイムラーとボルボが合弁会社を設立し、大型FCV向けの燃料電池システムを開発する計画を公表するなど29、商用車の領域がにわかに騒がしくなってきた。

脱炭素化と人・モノの輸送ニーズを満たすBEV以外のソリューションとして、今見えている解の1つがFCVだが、自動車業界はこれと並行してMaaS対応や自動運転技術の開発などにもコストを投じる必要があり、また昨今のコロナ禍が与える負の影響も見通せない。こうした状況下で、FCV普及のためのエコシステム構築に巨額を投じること決断した中国の存在は、関連技術を持つメーカーにとって魅力的な実証実験のパートナーの出現であり、将来有望な市場でもある。中国政府の強権を以てしてFCVが普及へ向けブレイクスルーするのかどうか、この成否は他地域でのFCV展開を左右することになるだろう。2020年代の注目すべきトピックとなりそうである。

  • 全人代の初日に首相が行う「政府活動報告」では、政治・経済に関する前年の振り返りと当年度の方針が述べられる。
  • 国务院总理 李克强「政府工作报告——2019年3月5日在第十三届全国人民代表大会第二次会议上」。
  • ガソリン車・ディーゼル車よりも環境負荷が低いPHV、BEV、FCVのこと。
  • 国家能源局「关于《中华人民共和国能源法(征求意见稿)》公开征求意见的公告」、2020年4月10日。中国には「再生可能エネルギー法」など個別のエネルギー源に対する法律は存在するが、エネルギー全体の活用方針を定めた基本法が長らく存在しない状況が続いている。
  • 财政部 经济建设司「关于《财政部 工业和信息化部 科技部 发展改革委关于完善新能源汽车推广应用财政补贴政策的通知(财建〔2020〕86号)》的解读」、2020年4月23日、および北极星氢能网「氢燃料电池汽车“十城千辆”示范推广方案曝光!财政部征求燃料电池车推广意见」2020年5月11日。
  • Science Portal China「水素燃料電池車の実用化に向けて-突破すべき3つの壁」、2019年6月26日
  • 同上
  • (株)富士キメラ総研 太田雅浩「世界のEV市場の現状、将来動向」、マテリアルステージ2019年4月号
  • 同上
  • 前脚注6
  • 财政部 经济建设司「关于《财政部 工业和信息化部 科技部 发展改革委关于完善新能源汽车推广应用财政补贴政策的通知(财建〔2020〕86号)》的解读」、2020年4月23日
  • NEDO北京事務所「中国の水素・燃料電池産業の動向」、2020年1月
  • 日刊自動車新聞「鶏と卵、そろりとスタート 水素ステーション設置進む」、2015年2月21日。なお、日本の政府目標は、2030年までにステーション900基、普及台数80万台であるが、直近の水素ステーション数は全国115基(2020年3月16日時点)、FCV販売台数は約3,600台(2020年2月末時点)に留まる。
  • 北极星氢能网「氢燃料电池汽车“十城千辆”示范推广方案曝光!财政部征求燃料电池车推广意见」2020年5月11日
  • 前脚注6
  • 前脚注12
  • ロイター「トヨタ、中国第一汽車などに燃料電池車の基幹部品供給へ」、2019年7月5日
  • 前脚注12
  • トヨタ自動車(株)、「トヨタ自動車、燃料電池関連の特許実施権を無償で提供-燃料電池自動車導入期において普及に貢献するため、世界で約5,680件の特許を対象-」、2015年1月6日
  • 日本経済新聞「「トヨタ、入っている」へ中国でFCV中核部品外販」、2019年12月27日
  • Marklines「重塑科技、江蘇省常熟高新区および豊田通商と燃料電池大型トラックの実証応用で提携へ」、2019年12月13日
  • 清华大学「清华大学-丰田联合研究院成立大会举行」、2019年4月22日、およびトヨタ自動車(株)「トヨタ、中国清華大学と「清華大学-トヨタ連合研究院」を設立」、2019年4月21日。
  • ロイター通信「アングル:トヨタの燃料電池車ついえぬ夢、鍵握る東京五輪バス」、2019年9月22日。
  • Air Liquide “Sinopec and Air Liquide Open two Hydrogen Stations in Shanghai, China”、2019年11月18日
  • NNA ASIA「ボッシュの燃料電池戦略、米中を軸に」、2019年10月25日、およびBosch China「博世氢燃料电池中心在无锡奠基」、2019年12月2日。稼働は2021年を予定。
  • トヨタ自動車(株)、日野自動車(株)「トヨタと日野、燃料電池大型トラックを共同開発」、2020年3月23日。
  • いすゞ自動車(株)、本田技研工業(株)「いすゞとHondaが燃料電池(FC)大型トラックの共同研究契約を締結」、2020年1月15日。
  • 三菱ふそうトラック・バス(株)「2020年代後半までに燃料電池トラックの量産を開始」、2020年3月26日。
  • Daimler “Volvo Group and Daimler Truck AG are planning to form a joint venture”、2020年4月21日

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