企業は従来、スポーツを広告・宣伝や認知度向上・ブランディング、ライセンス等の権利利用、企業の福利厚生や実業団チーム等による従業員の士気高揚や社会貢献などの目的に活用してきた。現在、企業には経営環境や経営課題に応じたスポーツ活用の新しい動きがある。企業が直面する経営課題の1つである「人材の強化」の側面に焦点を当て、実例を紹介しながら、企業にとっての今日的なスポーツの活かし方を考える。
1.これまでの企業とスポーツとの関係、昨今のスポーツを巡る社会の潮流
企業にとってのスポーツといえば、スポンサーや協賛を通じた広告・宣伝や認知度向上・ブランディング、ライセンスや放映権等の権利利用のほか、企業の福利厚生や実業団チーム等による従業員の士気高揚や社会貢献などを目的とすることが一般的であった。
他方、政府は2011年にスポーツ基本法を公布、施行、2015年には文部科学省の外局としてのスポーツ庁を設置した。文部科学省は「スポーツ立国戦略」を掲げ、スポーツの成長産業化は政府の成長戦略にも挙がっている1。スポーツ産業は、進歩するIT技術をキーに親和性の高い産業と融合が進み、成長産業として市場規模を伸ばしていくとの報告もある2。また、最近ではパラスポーツやeスポーツなどの言葉を耳にする機会が増え、「スポーツ」の幅の広がりを感じている人もいるだろう。
2.企業から見たスポーツ活用の広がり
現在、企業には、経営環境や経営課題に応じたスポーツ活用3の新しい動きがみられる。本稿では、企業が直面する経営課題の1つである「人材の強化」4の側面に焦点を当て、その取り組みの実例を紹介する。
(1)管理職層のマネジメント能力向上
筑波大学発のベンチャー企業として同大学で蓄積された教育研究と社会活動の手法や専門性等を活用した事業開発支援を行っている株式会社Waisportsジャパンは「文武両道場」というプログラムを提供している。企業の幹部候補者や現職管理職を対象としたマネジメント能力の開発・育成のための研修である。
企業からの参加者は、2日間、高等学校や大学からの女子選手による混成の急造バレーボールチームの「監督」を基本的には2人1組で務め、予選リーグ・決勝トーナメント形式で行われる試合を戦う。
生徒や学生は普段からバレーボールに競技者として取り組んでいるのに対し、「監督」の殆どがバレーボール未経験者である。研修参加者は、自分より専門性が高い「部下」をまとめ、チームという「組織」をマネジメントする力量が試される。成績を「組織の業績」、選手の満足度を「部下のやりがい」に見立て、両立を図りながら自分の管理能力の特性を見つめ直し、再構築するきっかけにする。
参加者は研修期間中に認識した自己課題を自身の職場に持ち帰り、自分の考えや言動などに関する内省と実践を経て、3か月後の個別フィードバック(課題への対応状況を上司や講師等へ共有)と6か月後のフィードバック(その年にプログラムを体験した参加者が一堂に会しての成果発表、相互学び合い)を行い、マネジメント能力の向上を図る5。
同社の松田裕雄代表は「バレーの環境はこのプログラムにすごく適しているんです。まず、コートがコンパクトで人口密度が極めて高く、全体が見渡しやすい。それにトスをつないでいく必要があるので、特定の個人のスタンドプレーが起こらない。」とし、「人間関係やチームワークが非常に重要になるスポーツで、それはビジネスの現場に近い環境と言えます。それからポイントが全てラリーポイント制によるセットプレーで生まれるため得失点1点1点における因果関係が分かりやすく、ゲーム全体を通して何がよくて何がいけなかったのか、その原因と結果の分析がしやすいという特徴があります」と語っている6。
企業の人材育成担当者は、「非日常の空間で自分のマネジメントスタイルを客観視する機会になる」と能力向上の効果を期待している、という7。
(2)経営層の発掘・育成、優秀人材の獲得
経済界には、スポーツ選手がそのキャリアから得た経験などから具備した資質が企業人として評価し得るという認識がある8。「組織行動力、リーダーシップ、精神力」、そして「ゴールを設定し、そこへ向けて全力で取り組む力」に着眼したものだ。経団連のスポーツ推進委員会企画部会(当時)との懇談において、スポーツマネジメント業務などを手掛ける株式会社スポーツビズの田中和弘取締役(当時)は、スポーツ経験者について「ビジネスエリート候補を発掘し、育ててほしい。昨今、グローバル人財の確保が急務といわれるが、グローバルな経験を持ち、人間力にも優れたスポーツ人財は多い。外部に頼らずとも、社内のスポーツ経験者に研修・経験を積ませることで、グローバル人財を育てることはできる」と語っている9。
企業が人材の獲得にあたってスポーツ経験者に注目する動きもある。
大学で運動部に所属している学生のみを対象にした就職説明会に出展している企業の数は、6年前に比しておよそ3倍に増加しているという10。こうした企業の採用担当者が高く評価する運動部に所属している学生の特性は、いわゆる「体育会系」と言われる目上の者への服従や根性論などを尊ぶ気質11ではない。
現在、特に注目されているのは、「目標から逆算していく能力」だという12。自身の記録の更新のためや、チーム成績の向上に貢献するために何をすべきかを考え技能を磨く経験などを重視していると考えられる。
そのほか、アスリート時代に養い得るビジネス上の重要な能力・資質には「組織人としての役割使命の遂行力」「リーダー層としてのマネジメント力」「過去の慣例にとらわれない企画力」「課題や困難から逃げずにこれと向き合い解決していく力」などがあろう。実際にこうした資質や能力を、アスリートとして現役を引退したのちにビジネスの世界で活かして活躍している例もある13。
女子サッカー元日本代表の東明有美氏によると、人が高いパフォーマンスを発揮するには、ベースとなるものから順に、基礎メンタル、スキル・技術、実践メンタルの3階層があるという。《図表1》14
スポーツからビジネスの世界に移るとスキル・技術は新たに習得する必要がある一方、基礎メンタルは勝負する分野や領域が変わっても高いパフォーマンスを支えるマインドセットとして存続し得る。アスリートとビジネスパーソンとの関連性を示すひとつの考え方と言えよう。
また、スポーツ選手が書いた本がビジネス書、自己啓発書としてベストセラーになることがしばしばある。その理由として、「そもそもビジネスがスポーツ的なものだから」との説明や、「ビジネス環境の変化が読者をスポーツ選手の本に向かわせている」との指摘がある15。スポーツ選手が身に着けた力や発する言葉が現代ビジネスに通じるものとして人々の心に響いているとも考えられるだろう。
3.企業にとっての今日的なスポーツの活かし方
従来からの広告・宣伝や認知度向上等、福利厚生、従業員の士気高揚などのスポーツの活用方法は、それぞれの時代や環境に即した企業の経営課題に対応したものである21。
また、喫緊の経営課題に対するスポーツの活用例として、今回紹介した人材の強化以外に、新たな商品・サービスの開発といったイノベーションの分野での取り組みも見られ始めている22。
前述の政府の戦略的な政策はもとより、今回紹介した新しい民間の動向を踏まえると、これから企業は、課題解決へのメソッドや触媒のひとつとして戦略的に幅広くスポーツと付き合うべき時代になってきていると思われる。
- 文部科学省「スポーツ立国戦略」
https://www.mext.go.jp/a_menu/sports/rikkoku/1297182.htm
(visited January 30, 2020)
首相官邸 「成長戦略ポータルサイト」
https://www.kantei.go.jp/jp/singi/keizaisaisei/portal/tourism/
(visited February 17, 2020)
- スポーツ庁「平成29年度『スポーツ産業の成長促進事業 ③スポーツ関連新事業創出支援事業』報告書 新たなスポーツビジネス等の創出に向けた市場動向」(平成30年3月)
- 佐伯年詩雄「企業スポーツの現在を考える―変化する経営課題と企業スポーツの展望」(日本労働研究雑誌 No.688、2017年11月)。この論文内で佐伯氏は、企業とスポーツとの関わりのうち企業スポーツに焦点を当てて論じているが、「企業にとってのスポーツの価値は、その経営資源としての活用にある」とし、企業スポーツを考える際、「新たな経済環境における企業の経営課題とスポーツの関係性をとらえ、経営資源的価値開発の可能性を見てゆかねばならない。」との考えを示している。
- 一般社団法人 日本能率協会「第40回 当面する企業経営課題に関する調査 日本企業の経営課題 2019」によると、企業の経営者に行ったアンケート調査の結果、現在の経営課題、および5年後の経営課題のそれぞれ第2位が「人材の強化」(3年後の経営課題としては第1位)であった。より具体的に「組織・人事領域で重視する課題」として、管理職層(ミドル)のマネジメント能力向上、次世代経営層の発掘・育成、組織風土(カルチャー)・意識改革のほか、優秀人材の獲得などが挙がっている。
- 「文武両道場」の事例については、以下を参照した。
①日本経済新聞「管理職、スポーツに学ぶ『組織運営』研修で監督役、チームの力引き出す」(2018年9月21日)
②株式会社Waisportsジャパンホームページ
http://waisports.co.jp/
(visited December 05, 2019)
③IT Media ビジネスオンライン「人気の強制『修羅場』道場に密着【前編】:ANA 社員が『女子高生バレーチーム』の監督に!? 謎の人材育成プログラム「文武両道場」に潜入」(2019年10月24日)
https://www.itmedia.co.jp/business/articles/1910/24/news009.html
(visited December 06, 2019)
- 前掲注 5③。
- 前掲注 5①。
- 一般社団法人 日本経済団体連合会 ホームページ Action(活動) 週刊経団連タイムス No.3171「『スポーツが企業にもたらす価値』について聞く-スポーツ推進委員会企画部会」(2014年3月27日)
https://www.keidanren.or.jp/journal/times/2014/0327_06.html
(visited December 05, 2019)
- 同上。
- NHK SPORTS STORYホームページ「磨け!マネジメント力!スポーツがビジネスの力を養う」(2019年11月6日)
https://www.nhk.or.jp/sports-story/detail/20191107_4165.html
(visited December 05, 2019)
- 国語辞典である大辞泉では体育会系を「体育会の運動部などで重視される、目上の者への服従や根性論などを尊ぶ気質。また、そのような気質が濃厚な人や組織。」と定義している。
- 前掲注 10。
- 前掲注 10。近代五種でオリンピック出場経験がある元アスリートが現役引退後に証券会社の人事部門で働く事例を取り上げている(なお同選手はアスリート時代から同社に所属)。アスリート時代の目標設定、目標から逆算、振り返り課題を見つけ1つ1つ解決していく経験が活きているとの本人のコメントを紹介。また、別の事例として、プロ野球選手引退後に公認会計士になった人も取り上げている。ピッチャーとして様々なバッターの特性に応じた攻め方、試合全体でのペース配分、緩急の付け方などの養った力が、公認会計士試験の出題傾向分析や試験勉強に活かせたとの本人のコメントを紹介。
- EY新日本有限責任監査法人編「スポーツの可能性とインテグリティ 高潔なスポーツによる豊かな社会を目指して」 (2018年12月)
- NIKKEI STYLE「スポーツ選手の自己啓発書、なぜ人気」(2012年1月31日)
https://style.nikkei.com/article/DGXBZO38371100Y2A120C1BE0P00/
(visited January 15, 2020)この中で、明治大学の斎藤孝教授は「そもそもビジネスがスポーツ的なものだからだ」とし、「はっきりした勝ち負けがあり、勝つためにはメンタルの強さと戦略が求められる。高度なマネジメントが必要なスポーツはますます知的なものになっており、スポーツの側がビジネスに近づいてきているといえる」と説明する。また、ビジネス書評家の土井英司氏は「グローバル環境で働くビジネスマンが、世界と戦うアスリートに自分を重ねている」と分析する。
- 全米大学体育協会(NCAA)ホームページ,” Leadership Development”,
http://www.ncaa.org/about/resources/leadership-development
(visited December 05, 2019)
- 日本経済新聞「『日本版NCAA』の名称は『UNIVAS』スポーツ庁」(2018年10月22日)
- 同上。
- 全米大学体育協会(NCAA)ホームページ ,”Student-athletes prepare for 2019 leadership forum”,
http://www.ncaa.org/about/resources/media-center/news/student-athletes-prepare-2019-leadership-forum
“Student-Athlete Leadership Forum”,
http://www.ncaa.org/about/resources/leadership-development/student-athlete-leadership-forum
(visited December 06, 2019)
- 前掲注 19 内の英文をもとに筆者が意訳。
- 前掲注 3。この論文内で佐伯氏は企業スポーツの歴史を振り返り、「企業誕生の初期には、企業の組織体制の確立という経営課題に対応して、人作りと福利厚生の資源としての職場スポーツが重要であった。企業体制が整い、次第に組織体が大きくなると、勤労意欲の高揚と組織的団結が経営課題となり、企業スポーツは企業の誇りを担う象徴となって、それに応え」、「企業スポーツは広告宣伝に特化」したが、その後その「宣伝広告価値を急速に消失した」としている。
- 一例に、フリーマーケットアプリなどを展開する株式会社メルカリによる、株式会社鹿島アントラーズ・エフ・シー(サッカーJリーグのクラブ鹿島アントラーズの運営会社)の子会社化がある。メルカリ取締役会長の小泉文明氏は、「いろいろな実証実験を、いろいろなパートナーとテクノロジーを持ち寄ってやってみたいと思っている。アントラーズはそういうオープンイノベーションを起こすハブになれる」と述べている。日本経済新聞「鹿島とメルカリ、相思相愛で挑む Jリーグ競争時代」(2019年8月30日)また、同氏はアイデアとして、サポーターには体験の質の向上(次世代通信規格「5G」での音響などスマートデバイス活用、飲食でのキャッシュレス化)、スポンサーには単なる広告ではない課題解決型のパートナーシップ(商品開発に向けてスタジアムをショールームのように使う)、地元行政とはITの活用による連携(ホーム試合で起きる渋滞を信号のアルゴリズムで解決)などを挙げている。日本経済新聞「メルカリ、鹿島アントラーズに持ち込む倍速経営 IT×スポーツ 1」(2019年10月30日)